新婚別        新婚の別れ   杜 甫
   兎糸附蓬麻     兎糸とし 蓬麻ほうまに附
   引蔓故不長     蔓つるを引くこと故もとより長からず
   嫁女与征夫     女じょを嫁して征夫せいふに与うるは
   不如棄路傍     路傍に棄つるに如かず
   結髪為君妻     髪を結びて君が妻と為るも
   席不煖君牀     席 君が牀しょうを煖あたためず
   暮婚晨告別     暮れに婚こんして晨あしたに別れを告ぐ
   無乃太怱忙     乃すなわち太はなはだ怱忙そうぼうなる無からんや
根なし蔓かずらが 蓬や麻に寄り添えば
蔓を伸ばそうとしても 伸ばせないのは当然です
娘を出征兵士の嫁に出すくらいなら
道端に捨ててしまうほうがよいと申します
成人の髪を結い あなたの妻になりましたが
敷布団は 寝床を暖めるひまもありません
日暮れに嫁いだと思ったら 翌朝はお別れです
なんとまあ 慌ただしいことではありませんか

 「三吏三別」のうち「新婚別」は三別の代表作と言っていいでしょう。
 石濠村を出てほどなく、杜甫は新婚の若い婦人と出会ったようです。
 詩は女性の一人称形式で書かれており、全篇は妻が出征する夫に語りかけるように別れの悲しみを訴えます。はじめの八句は序章で、日暮れに嫁いだと思ったら翌朝にはお別れです「乃ち太だ怱忙なる無からんや」と、新婚の女はあきれたように語りかけます。

君行雖不遠     君が行こう 遠からずと雖いえど
守辺赴河陽     辺へんをっ守て河陽かように赴く
妾身未分明     妾しょうが身 未だ分明ぶんめいならず
何以拝姑嫜     何を以て姑嫜こしょうに拝せんや
父母養我時     父母 我われを養いし時
日夜令我蔵     日夜 我を蔵ぞうせ令
生女有所帰     女むすめを生みて帰とつがしむる所有れば
鶏狗亦得将     鶏狗けいくも亦た将ともにするを得
あなたの征く先は 辺境の地ではありませんが
前線を守って 河陽に出陣なさるとか
私の嫁としての立場は まだ定まっておらず
どうやって 義父母に挨拶したらいいのでしょう
両親が私を育ててくれた時は
昼も夜も外には出さず 大切にしてくれました
娘を生んで 嫁ぐところがあれば
犬や鶏さえも 伴侶といっしょです

 新婚の妻の夫が出征して行く先も河陽です。政府軍は河陽で史思明軍をくいとめるために、洛陽付近の住民を総動員していたのでしょう。
 この段の三句目に「妾が身 未だ分明ならず」と言っているのは、中国の礼法によれば女性は結婚して三日目に夫の家の霊廟に婚姻の報告をし、それではじめて嫁と舅姑との立場が定まる習慣でした。それも済ましていないので、新婚の妻は自分の立場に不安を感じているのです。

君今往死地     君 今 死地に往
沈痛迫中腸     沈痛ちんつう 中腸ちゅうちょうに迫る
誓欲随君去     誓って君に随って去らんと欲するも
形勢反蒼黄     形勢けいせいかえって蒼黄そうこうたり
勿為新婚念     新婚の念ねんを為すこと勿なか
努力事戎行     努力して戎行じゅうこうを事こととせよ
婦人在軍中     婦人 軍中に在らば
兵気恐不揚     兵気 恐らくは揚がらざらん
あなたはいま 死地に赴こうとされており
それを思うと 胸に痛みが迫ってきます
是が非でも あなたについて行きたいのですが
そんな願いが 叶えらる状況ではありません
どうか 新婚であることなど忘れ去り
兵士としての勤めに専念してください
女が軍隊の中にいたら
兵士の士気は挙がらないでしょう

 若い妻は夫について戦場に行きたいけれども、それは許されないことですと嘆きます。そして健気にも、新婚であることなど忘れて兵士としての任務に励んでくださいと励ますのです。
 再び賊の侵入を許すことがどんなに悲惨なことか、充分に知っていました。
 単なる反戦思想でないところは、杜甫の考えでもあると思います。

自嗟貧家女     自ら嗟なげく 貧家ひんかの女じょにして
久致羅襦裳     久しく羅襦らじゅの裳しょうを致いたせしことを
羅襦不復施     羅襦 復た施ほどこさず
対君洗紅粧     君に対しては紅粧こうしょうを洗わん
仰視百鳥飛     仰いで百鳥ひゃくちょうの飛ぶを視るに
大小必双翔     大小 必ず双ならび翔かけ
人事多錯迕     人事じんじ 錯迕さくご多し
与君永相望     君と永く相い望まん
私が悲しいのは 貧しい家の娘ですから
長いことかけて 羅の晴れ着をととのえました
しかし今日からは 晴れ着を着ることはせず
あなたの目の前で 化粧も洗い落します
天を仰いで さまざまな鳥が飛ぶのを見ると
大きい鳥も小さな鳥も かならずつがいで飛んでいます
人の世と言うものは とかく食い違うことが多く
せめていつまでも あなたを思って生きたいものです

 結び八句では、再び若い妻の嘆きにもどります。
 貧しい家の娘なので、「羅襦」(うす絹の晴れ着)をととのえるのに長いことかかってお金を貯めたというのです。でも今日からは晴れ着も脱ぎ捨て、化粧も洗い落としてしまいますと夫への貞操を誓うのです。
 「三吏三別」に描かれたような民衆の大きな犠牲と、郭子儀らの必死の努力があったにもかかわらず河陽の陣は破られ、四月には洛陽も史思明軍に占領されてしまいます。政府軍は陝州(河南省陝県か)ら潼関にかけての防衛を強化し、賊軍の西進をくい止める態勢をととのえます。
 新婚の妻の夫がどうなったかは、もちろんわかりません。

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