石濠吏        石濠吏    杜 甫
暮投石濠村     暮くれに石濠せきごうの村に投ず
有吏夜捉人     吏有りて 夜 人を捉とら
老翁踰牆走     老翁 牆かきを踰えて走り
老婦出門看     老婦 門を出でて看
吏呼一何怒     吏の呼ぶこと一いつに何ぞ怒れる
婦啼一何苦     婦の啼くこと一に何ぞ苦しき
日暮れになって石濠村に宿る
すると役人がきて 夜中に徴兵をする
老人は 土塀を越えて逃げ
老婆は 門を出て相手になる
役人の声は まったくの怒鳴り声
老女の泣き声はなんとも苦しそうだ

 杜甫が衛八と会ったのは、二月末のことのようです。
 まだ相州の敗戦のことを知りませんでした。
 杜甫は前年末に華州を出てから二か月以上たっていますので、そろそろ華州にもどる必要を感じていました。
 そのとき相州の敗報を聞いて、華州への帰途につきます。華州へ帰る途中での見聞をもとにまとめたのが五言古詩の連作六首「三吏三別」さんりさんべつで、いずれも戦争に駆り出される民の辛苦を詠ったものです。
 「石濠吏」は四句ごとに韻を換える楽府がふの体裁を取っていますが、内容によって三段に区分します。石濠村は洛陽の西一一〇㌔㍍余の陝州せんしゅう(河南省三門峡市陝県)の村です。
 杜甫はその村の家に一夜の宿を求めますが、そこに役人がやってきて、兵に出す男を捉えようとします。
 老人は垣根を跳び越えて逃げ、老婦が応対に出る場面です。
 杜甫はおそらく家の中で聞き耳を立てているのでしょう。

聴婦前致詞     婦の前すすみて詞を致いたすを聴くに
三男鄴城戍     三男さんだんは鄴城ぎょうじょうに戍まも
一男附書至     一男は書を附して至いた
二男新戦死     二男は新たに戦死すと
存者且偸生     存そんする者は且しばらく生を偸ぬすむも
死者長已矣     死せる者は長とこしえに已みぬ
室中更無人     室中しつちゅう 更に人無く
惟有乳下孫     惟だ乳下にゅうかの孫まご有るのみ
有孫母未去     孫に母の未いまだ去らざる有るも
出入無完裙     出入しゅつにゅうに完裙かんくん無し
彼女がすすみ出て言うのを聞くと
「三人の息子は 鄴城の守備についています
一人の息子が 便りをよこし
二人の息子は さきごろ戦死したそうです
生きている者は しばらく生をむさぼれますが
死んだ者は 永久におしまいです
家にはほかに 男とてなく
乳飲み子の孫がいるだけです
孫の母親は まだ去ってはいませんが
出入りするのに 満足な裙(スカート)もありません

 中十句は老婦が役人に訴える言葉です。
 それによると、この家の息子三人は鄴城の戦に駆り出されており、そのひとりから来た便りによると、他の二人は戦死したというのです。
 家にはほかに男はおらず、乳飲み子の孫がいるだけです。
 孫の母親は家を出てはいないけれども、満足なスカートもなくて外へ出入りもできませんと、必死に窮状を訴えます。

老嫗力雖衰     老嫗ろうう 力衰えたりと雖いえど
請従吏夜帰     請う 吏に従いて夜よるせん
急応河陽役     急に河陽かようの役えきに応ぜば
猶得備晨炊     猶お晨炊しんすいに備そなうるを得ん」と
夜久語声絶     夜 久しうして語声ごせい絶え
如聞泣幽咽     泣いて幽咽ゆうえつするを聞くが如し
天明登前途     天明てんめいに前途ぜんとに登り
独与老翁別     独り老翁ろうおうと別る
この婆 力は衰えておりますが
お役人の伴をして 今夜でも出かけましょう
河陽の仕事につかせてもらえば
朝の飯炊きぐらいには役立ちます」
夜も深まって話し声は絶え
むせび泣く声が聞こえたようだった
夜明けにわたしは出立したが
老人と別れただけである

 老婆はけなげにも、自分はまだ力もあるので河陽の陣につれていってもらえば、飯炊きぐらいは出来るでしょうと申し出ます。
 河陽(河南省孟県)は鞏県の北、黄河を渡った対岸にあり、相州から退いて来た九節度使の軍が陣地を構築して史思明軍を防ごうとしていました。この詩については、役人の非道な行いに対して杜甫は傍観的に過ぎるのではないかという批判があります。
 確かに眼前に展開されている暴行は許しがたいことですが、一面において攻めてくる賊軍を防ぐには必要な動員でもあったのです。
 それに他州の役人である杜甫の立場からは、ここで口を出すのは権限外のことであり、処罰の対象にもなるのです。
 結句の「独り老翁と別る」という杜甫のつぶやきに、仕方なく口ごもる杜甫の心の葛藤を読み取るほかはないでしょう。

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