憶弟 二首 其一   弟を憶う 二首 其の一 杜 甫
喪乱聞吾弟    喪乱そうらんに聞く吾が弟の
飢寒傍済州    飢寒きかんして済州さいしゅうに傍よりそうと
人稀書不到    人稀にして書は到らず
兵在見何由    兵在り 見ること何にか由らん
憶昨狂催走    憶う昨 狂おしくも走ることを(もよお)せしが
無時病去憂    時として病やまいの憂い去ること無し
即今千種恨    即今 千種ちぐさの恨みは
惟共水東流    惟だ水と共に東流す
争乱のなか 弟の消息を聞いた
済州で飢えと寒さをしのいでいると
往来する人は稀で 書信は来ない
兵乱の燻ぶるなか どうして会うことができようか
想えば去年 お前をせき立てて陸渾荘に走らせたが
それ以来 病身の上に心配事を重ねてきた
だがいまは かつてのさまざまな悔恨は
川水と共に 東へ流れてゆくだけである

 杜観を洛陽にやってから五か月がたち、十二月になっても杜観から何の連絡もないので、杜甫は心配になり、休暇をとって洛陽に出かけることにしました。詩は明けて乾元二年(七五九)の正月に陸渾荘に着いてから作ったもので、そのことは詩中に「憶う昨 狂おしくも走ることを催せしが」とあることによってわかります。「催せし」というのは「やらせた」ということです。
 杜甫は十三歳の杜観に厳しく命じて、ひとり洛陽にやったことを「狂おしくも」と後悔しています。
 其の二の詩については省略しますが、陸渾荘の壁に杜観の手と思われる字で母を追って済州(山東省荏平県)にゆく旨のことが書かれていました。
 多分、盧氏は済州の出身で、賊軍が河北に敗走したあと、荒れ果てた洛陽を棄てて故郷にもどったのでしょう。それを知った杜観は、母親のあとを追って済州に行ったものと思われます。この推測は研究書などにもなく、のちの経過から私が推測したものです。
 杜甫に最後までつき従うのは、盧氏の子のなかでは次子の杜占だけです。


得舎弟消息      舎弟の消息を得たり 杜 甫
乱後誰帰得     乱後 誰か帰り得ん
他郷勝故郷     他郷 故郷に勝まされり
直為心厄苦     直ただちに心の厄苦やくくと為
久念与存亡     久しく与ともに存亡せんことを念おも
汝書猶在壁     汝なんじが書 猶お壁に在り
汝妾已辞房     汝が妾しょう 已に房ぼうを辞す
旧犬知愁恨     旧犬きゅうけん 愁恨しゅうこんを知り
垂頭傍我牀     頭こうべを垂れて我が牀しょうに傍
戦乱のあと 誰が故郷に帰られようか
故郷よりは 他郷が勝っていることもある
ひたすらに 心に苦しく思うこと
それは 生死を共にしたいということだ
家に着けば 汝の筆跡は壁に残っており
お手伝いは すでに部屋から去っていた
飼犬だけが 私の悲しみを知っているように
頭を垂れて 寝床にすり寄ってくる

 事情を知った杜甫はただちに済州に書信を送り、ほどなく弟から無事でいる旨の返事をもらいます。杜甫は家族と生死を共にしたいと考えていましたが、盧氏一家は遠く離れたところに行ってしまって会うのも困難です。
 陸渾荘に留守として置いてあったお手伝いの娘もいなくなっており、残された犬だけが主人の悲しみを知っているように頭を垂れて寝床のそばに寄り添ってきます。

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