春宿左省       春 左省に宿す 杜 甫
花隠掖垣暮     花は隠いんたり 掖垣えきえんの暮れ
啾啾棲鳥過     啾啾しゅうしゅうとして棲鳥せいちょう過ぐ
星臨万戸動     星は万戸ばんこに臨んで動き
月傍九霄多     月は九霄きゅうしょうに傍って多し
不寝聴金鑰     寝ねずして金鑰きんやくを聴き
因風想玉珂     風に因って玉珂ぎょくかを想う
明朝有封事     明朝 封事ほうじ有り
数問夜如何     数々しばしば問う 夜よる如何いかん
花はぼんやり霞む 宮殿の日暮れどき
寂しく鳴きながら 鳥はねぐらへ帰ってゆく
長安の無数の家に 星はまたたき
月は夜空に添って 輝きわたる
眠られないまま 宮門の開く音に耳をすまし
風の音を聞くと 参内者の玉珂の音かと思う
明朝は 天子に差し出す文書がある
だからしばしば 夜明けはまだかと尋ねるのだ

 慌ただしく過ぎた至徳二載でしたが、長安にもどった杜甫は左拾遺として門下省に復帰していました。もともと免職ではなかったので、首都回復の祝賀気分のなかで、粛宗の勘気も解けたのでしょう。
 翌至徳三載(七五八)の元旦には盛大な式典があり、杜甫も式典に参加しています。詩題の「左省」さしょうは門下省のことで、杜甫のまじめな勤務振りがうかがえます。
 春の夜に宿直をして、眠られないまま夜明けを待っている詩です。
 杜甫が夜明けを待っているのは天子に差し出す文書があるからで、杜甫はそれを深夜までかかって書き上げたのでしょう。



 早秋苦熱堆安相仍 早秋 熱に苦しみ 堆安相い仍る 杜 甫

 七月六日苦炎蒸
 七月六日 炎蒸えんじょうに苦しむ
 対食暫餐還不能 食に対し(しばら)(くら)わんとするも()(あた)わず
 常愁夜来皆是蝎 常に愁う 夜来やらいみなれ蝎かつなるを
 况乃秋後転多蠅 况いわんや乃すなわち秋後しゅうごうたた蠅多し
 束帯発狂欲大叫 束帯そくたい 狂を発して大叫たいきょうせんと欲ほっ
 簿書何急来相仍 簿書ぼしょ 何ぞ急に来たって相い仍るや
 南望青松架短壑 南望すれば 青松せいしょうの短壑たんがくに架
 安得赤脚踏層冰 (いづく)くんぞ赤脚(せききゃく)もて層冰(そうひょう)を踏むを得ん
七月六日 蒸し暑くてやりきれない
食膳に向くが 食事も咽喉を通らない
夜ともなれば 蝎きくいむしが総出で這い出し
秋というのに 蠅がうるさく飛んでくる
官服は窮屈で つい大声を出したくなり
書類はどうして つぎつぎに押しかけてくるのか
南を望むと 切り立つ崖に青松が生え
幽邃の地を 素足で踏みたい気がしてくる

 春の終わりになると、旧派と見られた廷臣への圧迫が強くなります。
 中書舎人の賈至かしは些細なことが原因で汝州(河南省臨汝県)刺史に左遷され、さらに岳州(湖南省岳陽市)の司馬に貶されました。
 杜甫の友人の岑参しんじんも虢州(河南省盧氏県)に移されます。
 房琯は宰相を罷免されたあとも高官として遇されていましたが、政事の中枢からは遠ざけられたままでした。
 夏になると房琯への弾劾が集中するようになり、六月に詔書が発せられて邠州(陝西省彬県)刺史に転出となりました。
 邠州ひんしゅうは杜甫が「北征」のときに通った涇水中流の城市です。
 京兆尹けいちょういんになっていた厳武げんぶも、同じ六月に巴州(四川省巴中県)の刺史に左遷となります。杜甫もこのとき左拾遺を免ぜられて、華州(陝西省華県)の司功参軍しこうさんぐんに任ぜられ、すぐに赴任してゆきました。華州は長安の東九〇㌔㍍ほど、華山山麓の街です。
 中央の清官から地方の属官に移されたわけで、杜甫の失望は大きかったと思われます。詩は夏の暑さと華州の官舎の不衛生なことに腹を立て、仕事も雑用が多くて忙しいことに音をあげています。
 南にある華山の崖の松を見て「赤脚もて層冰を踏むを得ん」と結んでいるのは、涼しい山のなかに隠遁したいという気持ちの表現でしょう。
 崋山は夏に氷が張るような高い山ではありません。

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