曲江 二首 其一     曲江 二首 其の一   杜 甫
 一片花飛減却春  一片 花飛んで 春を減却げんきゃく
 風飄万点正愁人  風は万点ばんてんを飄ひるがえして 正に人を愁えしむ
 且看欲尽花経眼  且つ看ん 尽きんと欲する花の眼まなこを経るを
 莫厭傷多酒入唇  厭う莫なかれ 多きを傷そしらるる酒の唇に入るを
 江上小堂巣翡翠  江上こうじょうの小堂に翡翠ひすいすく
 苑辺高塚臥麒麟  苑辺えんへんの高塚こうちょうに麒麟きりん
 細推物理須行楽  細こまやかに物理ぶつりを推すに 須らく行楽すべし
 何用浮名絆此身  何ぞ(もち)いん 浮名(ふめい)もて此の身を(ほだ)すことを
いちめんに花が飛んで 春はすっかり消えてゆく
風は花々を吹き散らし 私は愁いに沈むのだ
だがとりあえずは 散り果てようとする花を眺めつつ
いささか酒に溺れても いいではないか
川のほとりの小堂に 翡翠かわせみが巣をつくり
御苑の端の高塚には 麒麟の像が倒れている
事の道理をつらつら思えば 人生おおいに楽しむべし
虚名でこの身をしばるのは ごめんこうむりたいものだ

 至徳三載は二月に乾元と改元され、年の呼び方も載から年にもどされます。しかし、そのころから朝廷では再び内部抗争が目立つようになります。
 玄宗上皇も興慶宮から大極殿の奥に移され、旧臣との接触を断たれます。杜甫は本来、鳳翔の行在所にかけつけて左拾遺に任ぜられたのですから、新派の廷臣に属するはずです。
 しかし、玄宗の旧臣であった房琯を弁護したために旧派とみなされ、出仕しても仕事がまわって来なくなってしまいました。
 杜甫は次第に酒にうさを晴らすようになります。
 詩は乾元元年の春、曲江に遊んだときの作です。曲江の荒れたようすを詠っていますが、それは粛宗の政事がうまくいっていないことの風刺でしょう。
 「浮名もて此の身を絆すこと」は「何ぞ用いん」と不満を口にします。


曲江 二首 其二    曲江 二首 其の二   杜 甫
 朝回日日典春衣  朝ちょうより回かえって 日日春衣しゅんいを典てん
 毎日江頭尽酔帰  毎日 江頭こうとうに酔いを尽つくして帰る
 酒債尋常行処有  酒債しゅさい 尋常 行く処ところに有り
 人生七十古来稀  人生七十 古来こらいまれなり
 穿花蛺蝶深深見  花を穿うがつ蛺蝶きょうちょうは深深しんしんとして見え
 点水蜻蜓款款飛  水に点ずる蜻蜓せいていは款款かんかんとして飛ぶ
 伝語風光共流転  風光ふうこうに伝語でんごせん 共に流転るてんして
 暫時相賞莫相違  暫時ざんじ相賞あいしょうして相違うこと莫からんと
朝廷からさがる途中 春の上着を質に出し
日ごと曲江のほとりで 酔っぱらって帰る
つけは当然 どこにもあるが
人生七十年 古来稀なり
蝶は花の茂みに 頭を入れて見え隠れし
蜻蛉はゆったりと 水に触れながら飛んでゆく
春の景色に伝えよう 人生を共にさすらい
暫しの時を楽しんで 仲よくしようではないか

 玄宗皇帝の時代に華やかな宴遊の苑であった曲江のほとりは、屋台の居酒屋が点在する場所になっていたのでしょうか。
 杜甫は春の衣裳を質に出して酒を飲みに出かけます。
 杜甫が自分の生活に、これほど投げやりになったことは珍しいことです。
 しかし、頚聯には美しい対句が配してあり、七言律詩の秀作といえるでしょう。「人生七十 古来稀なり」の格言は、この詩から生まれました。

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