羌村 三首 其一   羌村 三首 其の一 杜 甫

 崢嶸赤雲西     崢嶸そうこうたる赤雲せきうんの西
 日脚下平地     日脚にっきゃく 平地に下る
 柴門鳥雀噪     柴門さいもん 鳥雀ちょうじゃくさわ
 帰客千里至     帰客きかく 千里より至る
 妻孥怪我在     妻孥さいどは我われの在るを怪しみ
 驚定還拭涙     驚き定まって還た涙を拭う
 世乱遭飄蕩     世乱れて飄蕩ひょうとうに遭
 生還偶然遂     生還 偶然に遂げたり
 隣人満牆頭     隣人 牆頭しょうとうに満ち
 感歎亦歔欷     感歎して亦た歔欷きょき
 夜闌更秉燭     夜よるたけなわにして更に燭しょくを秉
 相対如夢寐     相対あいたいすれば夢寐むびの如し

高く湧き立つあかね雲の西
陽の光は 平野に射し込んでいる
柴門の辺りで小鳥がさわぎ
旅人が 千里のかなたから帰ってきた
妻と子は 生きて帰ったわたしを見て
夢ではないかと 改めて涙をぬぐう
世の乱れのため 漂泊のうきめに遭い
生きて帰ったのは偶然のこと
近所の人も 土塀の上に顔をならべ
共に感嘆して すすり泣く
夜も更けて さらに灯火を明るくし
互いに顔を見合っていると 夢を見ている心地がした

 「羌村きょうそん三首」の連作は、波乱の一年余をへて家族と再会した喜びが率直に詠われています。「北征」の詩よりも先に書かれたものと思われますが、「北征」には鳳翔を出るときから羌村までのことが書かれていますので、先に掲げました。「羌村三首」其の一の詩では、黄土高原の雄大な夕景色がまず簡潔に描かれます。
 杜甫は夕刻に到着したようです。馬に乗り従者を従えた杜甫が通ると門のあたりで小鳥が騒ぎ、旅人が帰ってきたことを知らせるのです。迎えた家族の喜びや近所の人のようすまでが、時間の経過を追っていきいきと描かれ、実に好ましい詩と思います。


 羌村 三首 其二   羌村 三首 其の二 杜 甫

 晩歳迫偸生     晩歳ばんさい 生を偸ぬすむに迫られ
 還家少歓趣     家に還かえれども歓趣かんしゅ少なし
 嬌児不離膝     嬌児きょうじは膝ひざを離れざりしも
 畏我復却去     我を畏おそれて復た却しりぞき去る
 憶昔好追涼     憶う昔 好く涼りょうを追い
 故繞池辺樹     故に池辺ちへんの樹じゅを繞めぐりしを
 蕭蕭北風勁     蕭蕭しょうしょうとして北風ほくふうつよ
 撫事煎百慮     事を撫すれば百慮ひゃくりょ
 頼知禾黍収     頼さいわいに知る 禾黍かしょの収めらるるを
 已覚糟牀注     已に覚おぼゆ 糟牀そうしょうに注ぐを
 如今足斟酌     如今じょこん 斟酌しんしゃくするに足る
 且用慰遅暮     且つ用って遅暮ちぼを慰めん

晩年に ずぼらな生活のつけがくる
家に帰ってはみたものの 面白いことはない
膝の上から離れなかった甘えん坊も
わたしを怖がってあとずさりする
思えば昔 夕涼みでもしようかと
池の岸辺 樹々のあいだをめぐったものだ
いまはもの寂しく 北風が吹きつのり
いろいろ考えると 胸に憂いが満ちてくる
さいわいに 今年の稲や黍きびは豊作であったとか
はやくも 酒しぼりの音がしているようだ
この季節は 酒を飲むのにちょうどよく
なんとか 余生の慰めも足りそうだ

 なついていた児が、久しぶりに帰ってきた父親に顔見知りするのは淋しくもあるけれど、去年夏景色であったあたりの風景は、すっかり秋の装いになっています。
 杜甫は粛宗の不興を蒙って帰宅してきました。
 しかし、そのことを妻には隠していますので、将来のことをいろいろ考えると憂鬱でもあります。
 でも幸い今年は豊作のようなので、まずは酒でも飲んで妻子と共にいることの喜びをかみしめようと思うのです。


羌村 三首 其三   羌村 三首 其の三 杜 甫
群鶏正乱叫     群鶏ぐんけいまさに乱叫らんきょう
客至鶏闘争     客至るとき鶏にわとり闘争す
駆鶏上樹木     鶏を駆って樹木に上のぼらしめ
始聞扣柴荊     始めて柴荊さいけいを扣たたくを聞く
父老四五人     父老ふろう 四五人
問我久遠行     我が久しく遠行えんこうせしを問う
手中各有携     手中しゅちゅう 各々おのおの携うる有り
傾榼濁復清     榼こうを傾くれば 濁だくた清せい
鶏がいまや騒ぎ立て
客人が来たのに驚いている
とりたちを枝木に追いやると
柴戸をたたく音が聞こえてきた
年寄りたちが四五人で
長旅の苦労を慰問する
手に手に手土産をさげており
壺からは濁酒どぶろくや清酒が流れ出る

 やがて村の長老たちも帰還の祝いにやってきます。
 なにしろ左拾遺といえば、村人たちにとっては天子の側近に仕える高官です。敬意を表すると同時に戦の見通しなど、政府のようすも聞きたかったでしょう。
 客たちは手に手に手土産をさげていますが、壺の中身は黍きびで作った自家製の酒ですから濁り酒もあれば清酒もあります。

 莫辞酒味薄     辞する莫なかれ 酒味しゅみの薄きを
 黍地無人耕     「黍地しょち 人の耕たがやす無し
 兵革既未息     兵革へいかく 既に未いまだ息まず
 児童尽東征     児童じどうことごとく東征す」
 請為父老歌     「請う 父老ふろうの為に歌わん
 艱難愧深情     艱難かんなん 深情しんじょうに愧ず」と
 歌罷仰天嘆     歌うたんで 天を仰いで嘆たんずれば
 四座涙縦横     四座しざ 涙縦横じゅうおうたり
酒の味が薄いのを 嫌がらないでくれと言いつつ
「きびの畑を耕す者がおりません
戦争はいまだ終わらず
若者はみんな戦いくさに出ています」と
「では 皆さんにために歌いましょう
苦しみ多い世の中で 心のほどが嬉しい」と
歌い終わり 天に向かって嘆けば
一座の人は 涙で頬を濡らすのだった

 其の三の詩の後半は、村人と杜甫の会話です。
 村の長老たちは酒の味が薄いのは、若者が戦争に出てしまって畑を耕す者がいないからですと弁解しながら、それとなく戦の終わる日を聞くのでしょう。「北征」の詩を見れば、杜甫は官軍がきっと賊を撃退すると答えたに違いありません。杜甫は皆さんのために詩を詠いましょうと言いながら、村人の好意が嬉しいと感謝の言葉を述べます。杜甫が世の乱れを歎くと、一同は共に涙を流すのでした。

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