北 征         北 征     杜 甫
 皇帝二載秋     皇帝 二載にさいの秋
 閏八月初吉     閏八月の初吉しょきつ
 杜子将北征     杜子としまさに北に征して
 蒼茫問家室     蒼茫そうぼう 家室かしつを問わんとす
 維時遭艱虞     維れ時に艱虞かんぐに遭
 朝野少暇日     朝野ちょうや 暇日かじつ少なし
 顧慚恩私被     顧みて慚ず 恩私おんしを被こうむりて
 詔許帰蓬蓽     (みことのり)もて蓬蓽(ほうひつ)に帰ることを許さるるを
 拝辞詣闕下     拝辞はいじせんとて闕下けつかに詣いた
 怵惕久未出     怵惕じゅつてきして久しく未いまだ出でず
粛宗 至徳二載の秋
閏八月一日のこと
杜甫は北に旅をしようとし
不安に駆られつつ 家族のもとへ向かう
ときに世は艱難辛苦あいつぎ
朝野をあげて暇な日はない
しかるに私は 特別の恩恵を受け
詔書によって 帰宅を許される
いとま乞いのため宮門に伺候するが
恐れ気づかって立ち去りかねた

 ところで、杜甫が左拾遺を拝命した直後に、朝廷でひとつの事件が起きていました。ささいなことから房琯ぼうかんが宰相を罷免され、太子少師たいししょうしに貶されたのです。事件というのは房琯が身近に置いていた琴の名手の董廷蘭とうていらんが、房琯の威を借りて賄賂をとったというのです。杜甫は持ち前の実直な性格から、また左拾遺として職務の範囲でもありましたので、そのようなささいなことで大臣を罷免するのはよろしくないと反対しました。事件の背景には粛宗しゅくそうの近臣と玄宗の旧臣との間の対立があったと思われますが、杜甫はこの直言によって粛宗の逆鱗げきりんに触れます。
 杜甫は問責を受ける身になり、職務も停止されますが、新しく宰相になった張鎬ちょうこうらのとりなしもあって、六月一日には旧職に復しています。しかし、粛宗の信任はもどってきませんでした。
 杜甫は詔書によって鄜州羌村の家族を見舞ってもよいとのお許しが出たと言っていますが、勅許というのは名目的なもので、実体は休職処分になったと見ていいでしょう。
 「北征」ほくせいというのは征旅のことではなく、「北行」ということで、勅許を受けてゆくので北征と言ったのに過ぎません。
 当時、長安は賊軍の占領下にありましたので、渭水に沿った東行の道はとれず、鄜州へ行くには鳳翔から北へ山越えの道をゆく必要がありました。「北征」は五言百四十句の長篇古詩です。
 はじめの十句は閏八月一日に杜甫が出発するくだりです。
 「拝辞せんとて闕下に詣り」ますが、不興をこうむっている身なので、そのことが心配で立ち去りかねる気持ちでいます。

雖乏諌諍姿     諌諍かんそうの姿に乏とぼしと雖いえど
恐君有遺失     君に遺失いしつ有らんことを恐る
君誠中興主     君は誠まことに中興の主しゅなれば
経緯固密勿     経緯けいいもとより密勿みつぶつたり
東胡反未已     東胡とうこ 反して未だ已まず
臣甫憤所切     臣甫しんほの憤り切なる所なり
揮涕恋行在     涕なみだを揮ふるいて行在あんざいを恋い
道途猶恍惚     道途どうとお恍惚こうこつたり
乾坤含瘡痍     乾坤けんこん 瘡痍そういを含む
憂慮何時畢     憂慮 何の時にか畢おわらん
力量のない諌め役のわたしだが
わが君に落ち度がないか心配だ
君公は中興の英主であらせられるから
国家の経営に熱心である
しかるに東方蕃族の叛乱はやまず
小臣の怒りには切実なものがある
涙を払い 御座所をしたいつつ行くが
途上なお 心は虚ろでぼんやりしていた
いくさの傷跡は 天地に深くきざまれ
いつになったら 憂悶の時は終わるのか

 杜甫はなお行在所の門前を立ち去りかねながら、幽州の賊の叛乱がまだつづいている現実に思いをはせます。粛宗は英主であるけれども、うまく平定できるだろうかと心を痛めます。
 未練の涙を払って杜甫は出発しますが、心は虚ろなままです。

 靡靡踰阡陌     靡靡ひひとして阡陌せんぱくを踰ゆれば
 人烟眇蕭瑟     人烟じんえんびょうとして蕭瑟しょうしつたり
 所遇多被傷     遇う所は多く傷を被こうむ
 呻吟更流血     呻吟しんぎんして更に血を流す
 廻首鳳翔県     首こうべを鳳翔県に廻めぐらせば
 旌旗晩明滅     旌旗せいきばんに明滅す
 前登寒山重     前すすみて寒山かんざんの重なれるに登り
 屢得飲馬窟     屢々しばしば飲馬いんばの窟くつを得たり
のろのろと畑中の路をゆけば
炊煙は 見わたす限りさびれている
会うひとの多くは傷つき
うめき苦しみ血を流す人もいる
鳳翔県を振りかえると
皇帝の旗は 日暮れの空に見え隠れする
進んで冬枯れの山を越えると
しばしば軍馬の水かい場をみつけた

 杜甫はのろのろと畑中の路を進んでゆきます。
 馬に騎り、徒歩の従者を従えていたはずです。あたりに農家は点在していますが、炊煙はほそぼそとしか上がっていません。
 会うひとの多くは戦で傷ついた人です。
 鳳翔県のほうを振りかえると、行在所の旌旗が日暮れの空に見え隠れしており、やがて杜甫は冬枯れのはじまった淋しい山道にはいっていゆきます。山中の道端には軍馬の水かい場が幾つも残されており、いまは人けもなく打ち棄てられています。

 邠郊入地底     邠郊ひんこう 地底に入り
 涇水中蕩遹     涇水けいすい 中に蕩遹とういつたり
 猛虎立我前     猛虎もうこ 我が前に立ち
 蒼崖吼時裂     蒼崖そうがいゆる時に裂く
 菊垂今秋花     菊は今秋きんしゅうの花を垂れ
 石載古車轍     石は古車こしゃの轍わだちを載いただ
 青雲動高興     青雲せいうんは高興こうきょうを動かし
 幽事亦可悦     幽事ゆうじも亦た悦よろこぶ可し
 山果多琑細     山果さんか 琑細ささいなるもの多く
 羅生雑橡栗     羅生らせいして橡栗しょうりつを雑まじ
 或紅如丹砂     或いは紅くれないなること丹砂たんしゃの如く
 或黒如点漆     或いは黒きこと点漆てんしつの如し
 雨露之所濡     雨露うろの濡うるおす所
 甘苦斉結実     甘苦かんくひとしく実を結ぶ
邠州の郊外から 低い盆地に入り
中央を涇水がゆたかに流れる
すると猛虎が 私の前に立ちふさがり
吼える声は苔むす崖を切り裂くようだ
野菊は 今年の秋の花を重そうに垂れ
石畳には 古い轍のあともある
空の雲に興趣をかき立てられ
自然のひそやかな営みに喜びを感ずる
山の木の実は小粒が多く
鈴なりになって橡栗しばぐりも混じる
丹砂のように真っ赤なものもあり
漆塗りのように漆黒のものもある
雨と露に潤されて
甘いものも苦いものも同様に実を結ぶ

 鳳翔から北へ山越えをすると、路は涇水中流の邠州ひんしゅう(陝西省彬県)盆地へ下りてゆきます。そこで涇水を東にわたり、再び山間の路を東北へたどってゆくのです。このあたりの山中には虎がいて、杜甫は虎の吼える声に肝を冷やすのでした。
 このあとの十句には、山の自然の細やかな観察が詠われています。
 杜甫は野菊の花や秋空の雲を眺め、沿道の林に実っている木の実が多種多様であるのに目を注いで、自然のひそやかな営みに心を慰められるのです。

緬思桃源内     緬はるかに桃源とうげんの内を思い
益嘆身世拙     益々身世しんせいの拙せつなるを嘆く
坡陀望鄜畤     坡陀はだとして鄜畤ふじを望めば
巌谷互出没     巌谷がんこく 互いに出没す
我行已水浜     我が行こう 已に水浜すいひん
我僕猶木末     我が僕ぼく 猶お木末ぼくまつ
鴟鳥鳴黄桑     鴟鳥しちょうは黄桑こうそうに鳴き
野鼠拱乱穴     野鼠やそは乱穴らんけつに拱きょう
夜深経戦場     夜深よふけて戦場を経れば
寒月照白骨     寒月かんげつ 白骨を照らす
はるかに桃源郷を思いやり
わが身と人の世のつたない関係を嘆く
やがて起伏のあいだから鄜州が見えはじめ
巌や谷のあいだに見え隠れする
わたしはすでに水辺にきているが
従僕たちは梢のむこうに見えている
ふくろうは桑のもみじの陰で鳴き
野鼠は巣穴の前でようすを見ている
夜更けに戦場の跡を過ぎると
寒月が白骨を照らし出す

 自然の美しいみのりを見ていると、桃源郷とはこのようなところかと思うのですが、自分のいまの境遇を思えば杜甫は嘆かずにはいられません。やがて巌や谷のあいだから鄜州の山々が見え隠れするところまできます。杜甫は心急ぐのか馬を急がせ過ぎて、従僕たちははるか後ろからついてきます。
 ふくろうが鳴き、野鼠が巣穴の前で見送っています。しかし、白骨が月に照らされて白く不気味に光っている戦場の跡も通過するのです。 

 潼関百万師     潼関どうかん 百万の師
 往者散何卒     往者さきに散ずるところ何ぞ卒すみやかなりし
 遂令半秦民     遂に半秦はんしんの民をして
 残害為異物     残害ざんがいして異物と為らしむ
 況我堕胡塵     況いわんや我は胡塵こじんに堕
 及帰尽華髪     帰るに及んで尽ことごとく華髪かはつなり
 経年至茅屋     年としを経て茅屋ぼうおくに至れば
 妻子衣百結     妻子 衣ころもは百結ひゃくけつなり
 慟哭松声廻     慟哭どうこくすれば松声しょうせいめぐ
 悲泉共幽咽     悲泉ひせんは共に幽咽ゆうえつ
思えば 潼関百万の軍勢は
どうして早々と負けたのか
関中の民の半数は
傷ついてこの世の異物と化したのだ
ほかならぬこの私も 賊に捕らえられ
行在についたときは 白髪となっていた
年余にしてわが家に帰ると
妻子はつぎはぎの襤褸ぼろを着ている
はげしく泣けば松風も吹いて声をあげ
泉水も共にむせび泣く

 白骨をみると、戦のことを思わずにはいられません。
 関中の民の半数が死んでしまい、自分も賊に捕らえられ、鳳翔の行在所に着いたときは白髪になっていたのだと嘆きます。
 回想にふけりながら、久しぶりに羌村のわが家に着くと、妻子はつぎはぎだらけの衣服を着て走り寄り、抱き合って再会を喜び、声をあげて泣くのでした。

平生所嬌児     平生へいぜいきょうとする所の児
顔色白勝雪     顔色がんしょく 白きこと雪に勝まさ
見耶背面啼     耶ちちを見て面おもてを背そむけて啼
垢膩脚不襪     垢膩こうじして脚あしに襪たびはかず
床前両小女     床前しょうぜんの両小女
補綻才過膝     補綻ほたんして才わずかに膝ひざを過ぐ
海図拆波涛     海図かいずは波涛を拆
旧繍移曲折     旧繍きゅうしゅうは移りて曲折きょくせつたり
天呉及紫鳳     天呉てんご 及び紫鳳しほう
顛倒在裋褐     顛倒てんとうして裋褐じゅかつに在り
老父情懐悪     老父 情懐じょうかいしく
嘔泄臥数日     嘔泄おうせつして臥すこと数日なり
つねひごろ可愛がっていた子は
雪よりも白い顔色になっていた
父をみるや 顔をそむけて泣き出し
垢と膏あぶらにまみれて 靴下もはいていない
寝床の前の二人の娘は
つくろい布で やっと膝を隠している
海の図柄は 波のところで裂け
古い刺繍が ずれて曲がっている
天呉や紫鳳のめでたい模様は
さかさになって普段着についている
わたしは気分が悪くなり
吐いたり下したり 数日床についた

 久しぶりに家族に会うと、可愛がっていた息子は顔をそむけて泣き出すしまつです。垢や汗にまみれて靴下もはいていません。
 二人の娘もつぎはぎだらけの着物を着て、もとの模様はずれて曲がっていたり、逆さになっていたりしています。
 杜甫は気分が悪くなり、疲れもあってか寝込んでしまいます。

 那無囊中帛     那なんぞ囊中のうちゅうの帛はく無からんや
 救汝寒凛慄     汝なんじの寒くして凛慄りんりつたるを救わん
 粉黛亦解包     粉黛ふんたい 亦た包つつみを解き
 衾裯稍羅列     衾裯きんちゅうやや羅列られつ
 痩妻面復光     痩妻そうさいは面おもてをば復た光かがやかせ
 痴女頭自櫛     痴女ちじょは頭こうべをば自ら櫛くしけずる
 学母無不為     母を学まねびて為さざるは無く
 暁粧随手抹     暁粧ぎょうしょう 手に随したがいて抹まつ
 移時施朱鉛     時ときを移して朱鉛しゅえんを施ほどこせば
 狼藉画眉闊     狼藉ろうぜきとして画眉がびひろ
荷物のなかに絹くらいはあるのだから
寒さに震えさせておくことはない
包みをほどいて白粉やまゆずみを取り出し
布団や寝巻きも並べてみせる
やせた妻は 顔色をかがやかせ
幼い娘たちも 自分で髪をくしけずる
母のしぐさをいちいち真似て
朝化粧を手当たり次第にぬりつける
しばらく紅や白粉をつけていたら
やたらと幅広の画眉になった

 杜甫はお土産を持ってきていたことを思い出し、荷物をほどいて中のものを取り出します。白粉おしろいやまゆずみを並べると痩せた妻も顔色をかがやかせて、さっそくお化粧をはじめます。
 幼い娘たちも母親のまねをして紅や白粉を顔に塗りつけるので、お化けのような眉になってしまいました。家族のことをこのように細かくユーモラスに詠うことなど、それまでの詩にはなかったことです。
 杜甫の独創性が家族への優しさに満ちた感情から生まれたものであることが、この詩を読むとよくわかります。

 生還対童稚     生還して童稚どうちに対すれば
 似欲忘飢渇     飢渇きかつを忘れんと欲ほっするに似たり
 問事競挽鬚     事を問いて競きそうて鬚ひげを挽くも
 誰能即嗔喝     誰か能く即ち嗔喝しんかつせん
 翻思在賊愁     翻ひるがえって賊に在りし愁いを思いて
 甘受雑乱聒     甘んじて雑乱ざつらんの聒かまびすしきを受く
 新帰且慰意     新たに帰りて且つ意を慰なぐさ
 生理焉得説     生理せいりいずくんぞ説くことを得ん
無事に帰って 子供たちに向き合えば
飢えや渇きも 忘れてしまいそうだ
話をせがんで 鬚を引っ張り合うが
誰が叱りつけたりできようか
囚われていたときの愁いを思えば
子供たちの騒がしさは なんでもない
家に帰りついて 自ら慰めているが
今後の暮らしは 皆目見当がつかない

 顔見知りをしていた子供たちも、ようやくもとのように父親にまつわりつくようになります。子供たちは杜甫の鬚を引っ張ったりして話をせがみますが、杜甫は笑って、囚われていたときの苦しみを思えば、子供たちの騒がしさなど何でもないと思うのでした。
 しかし、暇を出された形の杜甫は、そのことを妻にも告げておらず、今後の暮らしのことも気にかかるのでした。

 至尊尚蒙塵     至尊しそんは尚お蒙塵もうじん
 幾日休練卒     幾日か卒そつを練るを休めん
 仰観天色改     仰いで天色てんしょくの改まるを観
 坐覚妖気豁     坐そぞろに妖気ようきの豁かつなるを覚おぼ
 陰風西北来     陰風いんぷう 西北より来たり
 惨澹随回鶻     惨澹さんたんとして回鶻かいこつに随う
 其王願助順     其の王は助順じょじゅんを願い
 其俗善馳突     其の俗ぞくは馳突ちとつを善くす
 送兵五千人     兵を送る 五千人
 駆馬一万匹     馬を駆る 一万匹
天子はなお兵塵を避けて都外にあり
いつになったら 練兵をおやめになるのか
仰げば天の色にも変化が見え
なんとなく妖気も晴れる気がする
陰気な風が 西北から吹いてきて
そのあとを 不気味な回鶻がついてくる
回鶻の王は 助力をしたいと願い出で
得意な技は 騎馬の突撃である
五千人の兵士を送り
一万匹の馬を駆り立てる

 杜甫が粛宗の勘気を受けた理由は、房琯の件のほかにもありました。それは幽州の騎兵に対抗するために、回鶻(ウイグル)騎兵の援助を求めようという計画がすすんでいたことです。杜甫は賊の騎兵に対抗するために、別の胡族の力を借りることに反対でした。
 回鶻は五千人の騎兵を送ろうといって来ているのですが、回鶻の兵は必ず替え馬を連れていますので、馬は一万匹になります。
 これは当時としては一大機動部隊であったでしょう。

 此輩少為貴     此の輩はいわかきを貴とうとしと為
 四方服勇決     四方しほう 勇決ゆうけつに服す
 所用皆鷹騰     用うる所は皆な鷹たかのごとく騰あが
 破敵過箭疾     敵を破ることは箭の疾きに過
 聖心頗虚佇     聖心せいしんは頗すこぶる虚佇きょちょしたまうも
 時議気欲奪     時議じぎは気の奪われんと欲ほっ
 伊洛指掌収     伊洛いらくたなごころを指して収めん
 西京不足抜     西京せいけいも抜くに足らざらん
 官軍請深入     官軍 深く入らんことを請
 蓄鋭可倶発     鋭えいを蓄たくわえて倶ともに発す可
 此挙開青徐     此の挙きょ 青徐せいじょを開かん
 旋瞻略恒碣     旋たちまち恒碣こうけつを略するを瞻
彼らは若者を尊重し
周囲の国は その勇武と決断に服する
戦うときは 鷹のように飛び上がり
矢のように速く敵陣を駆け抜ける
大御心は やや虚心に待っておられるが
世論は後難を恐れている
伊洛の地は手のひらを指すように収め
長安も確実に奪回できよう
官軍は敵地に深く攻め込んで欲しい
鋭気を蓄えて共に出発するのがよい
この一挙は 青州・徐州を開放し
たちまち恒山と碣石を攻め落とすであろう

 回鶻(ウイグル)は若者を大切にし、たしかに戦うときは勇猛果敢です。粛宗は胡族の兵を借りるのに賛成しておられるようであるけれど、外族の力を借りて賊を撃退すれば、あとで難儀が降りかかってくるだろうと杜甫は心配しています。
 しかし、賊を撃退するのも急務であり、回鶻の兵を用いるなら政府軍といっしょに力を合わせて進むべきだと思っています。

 昊天積霜露     昊天こうてん 霜露そうろ
 正気有粛殺     正気せいき 粛殺しゅくさつたる有り
 禍転亡胡歳     禍いは転ぜん 胡を亡ぼさん歳とし
 勢成擒胡月     勢いは成らん 胡を擒とりこにせん月
 胡命其能久     胡の命めい 其れ能く久しからんや
 皇綱未宜絶     皇綱こうこう 未だ宜よろしく絶ゆべからず
 憶昨狼狽初     憶う昨さく 狼狽ろうばいの初め
 事与古先別     事は古先こせんと別なり
 姦臣竟葅醢     姦臣 竟ついに葅醢そかいせられ
 同悪随蕩析     同悪 随って蕩析とうせき
いまや天空に 霜や露が積み重なり
正義の気は ひしひしと漲っている
蕃族を亡ぼす年は 禍を福に転じ
蕃族を虜にする月は 形勢ととのう
蕃族の命運はつづくはずがなく
綱紀は断絶してはならないのだ
思えば去年 慌ただしい事件のはじめ
ご処置は これまでと違っていた
姦臣はついに処刑され
仲間の悪人もいっしょに滅ぼされた

 杜甫の時局に対する考察はつづきます。官軍の態勢は次第にととのい、賊を撃退する日は近いであろうと考えています。
 七句目の「憶う昨 狼狽の初め」というのは、玄宗が潼関での官軍の敗北に狼狽して都を脱出したときを指しています。
 そのとき玄宗がとった処置はこれまでと違っていたと言って、楊国忠らが誅殺されたことを評価しています。

 不聞夏殷衰     聞かず 夏殷かいんの衰えしとき
 中自誅褒妲     中うちの自ら褒妲ほうだつを誅ちゅうせしを
 周漢獲再興     周漢しゅうかん 再興するを獲しは
 宣光果明哲     宣光せんこう 果たして明哲めいてつなればなり
 桓桓陳将軍     桓桓かんかんたり 陳ちん将軍
 仗鉞奮忠烈     鉞えつに仗りて忠烈を奮ふる
 微爾人尽非     (なんじ)()かりせば人は(ことごと)()ならん
 于今国猶活     今に于いて国は猶お活
昔 夏や殷が衰えたとき 天子みずからが
褒娰ほうじや妲己だっきを 誅したとは聞かない
周や漢が再興できたのは
宣王や光武帝が賢明であったからだ
武勇赫々たる龍武将軍陳玄礼は
斧鉞ふえつを持して忠烈を成し遂げた
将軍がいなければ 人は死に絶え
おかげで国はいまも生きている

 馬嵬の事件についての杜甫の考察はさらにつづきます。天子がみずからの愛妃を誅殺したことは、これまでになかったことだというのです。
 それは禁衛軍を指揮していた龍武将軍の断固たる忠烈のおかげであると、陳将軍を褒めたたえます。杜甫はこの段階で、事件の実際の経過については詳しくは知らなかったようです。

淒涼大同殿     淒涼せいりょうたり 大同殿だいどうでん
寂寞白獣闥     寂寞せきばくたり 白獣闥はくじゅうたつ
都人望翠華     都人とじん 翠華すいかを望み
佳気向金闕     佳気かき 金闕きんけつに向かう
園陵固有神     園陵えんりょうもとより神しん有り
掃灑数不欠     掃灑そうさいすう欠けず
煌煌太宗業     煌煌こうこうたり 太宗の業ぎょう
樹立甚宏達     樹立 甚はなはだ宏達こうたつなり
興慶宮の大同殿は ものさびしく
皇居の西門白獣闥に 人影はない
しかし 都人は錦旗の帰還を待ち望み
佳兆は 宮門に向かってなびいている
皇陵は 国家鎮護の神霊であり
清掃は いまもゆきとどいている
太宗の鴻業は 煌々と輝き
帝業の樹立は 宏大無辺である

 杜甫は憂悶をかかえて羌村にもどってきましたが、国家の再建には希望を失っていません。長篇「北征」の最後は「煌煌たり 太宗の業 樹立 甚だ宏達なり」と、唐朝が亡びることはないという確信で結ばれています。

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