遣興        興を遣る  杜 甫
 驥子好男児     驥子きしは好男児
 前年学語時     前年 語を学びし時
 問知人客姓     人客じんかくの姓を問知もんち
 誦得老夫詩     老夫の詩を誦しょうし得たり
 世乱憐渠小     世乱れて渠かれが小なるを憐み
 家貧仰母慈     家いえ貧にして母の慈しみを仰ぐ
 鹿門携不遂     鹿門ろくもん 携うること遂げず
 雁足繋難期     雁足がんそくくること期し難し
 天地軍麾満     天地 軍麾ぐんき満ち
 山河戦角悲     山河 戦角せんかく悲しむ
 儻帰免相失     儻し帰って相あい失うことを免るれば
 見日敢辞遅     見る日 敢あえて遅きを辞せんや
宗武は かわいい男の子だ
去年は おしゃべりを始めるころだった
家にいる人の姓を尋ねたり
父親の詩を暗誦したりした
世が乱れて あの児が小さいのを哀れに思い
家が貧しく 母親の愛情だけが頼りであろう
お前たちを連れて 鹿門山に隠居することもできず
近況を 書信で伝えることもままならない
天地には 戦の旗が満ちあふれ
山河には 戦の角笛が悲しく響く
もしも私が帰りえて 再会できるならば
遅くなっても構わない あの児が無事でいてくれるなら

 杜甫は国のゆくすえを心配すると同時に、羌村に残したまま音信不通になっている家族のことも気になります。
 詩題の「遣興」というのは湧き出る思いを吐き出すという意味で、即興的な詩ですが感情がこもっています。
 「驥子」というのは次男宗武の幼名で、このとき五歳でした。
 五歳で父親の詩を暗誦したりして賢いところのある次男に杜甫は注目しており、言葉を覚え始めるくらいの幼さで戦乱の世に遭遇した幼児に同情を寄せています。そして占領下、囚われの身では家族に便りを出すこともできないと嘆くのです。


 喜達行在所 三首 其一
            行在所に達するを喜ぶ 三首 其の一 杜 甫
西憶岐陽信     西のかた岐陽きようの信しんを憶おもうに
無人遂却廻     人の遂に却廻きゃくかいする無し
眼穿当落日     眼まなこは穿うがたれて落日に当たり
心死箸寒灰     心は死して寒灰かんかいに箸
霧樹行相引     霧樹むじゅ 行くゆく相い引き
蓮峰望忽開     蓮峰れんぽう 望み忽ち開く
所親驚老痩     所親しょしん 老痩ろうそうに驚き
辛苦賊中来     辛苦しんく 賊中より来たれり
西のかた岐陽からの報せを待つが
もどってくる人はいない
必死のまなこで落日を待ち
死ぬ気で暗がりを忍び出る
霧になか 樹々がゆくての標しるべとなり
やがて前方に 太白山が見えてきた
知人たちは 老いてやつれた私に驚き
辛苦の末に 賊中を逃れてきたのだ

 粛宗はこの年の二月、居所を岐山の西の鳳翔ほうしょうに移していました。戦況が不利であったにもかかわらず、官軍が鳳翔(陝西省鳳翔県)に進出できたのは、安禄山の側に内紛が生じたからです。
 皇帝を称して一年目の安禄山は眼病を患っていましたが、後嗣のもつれから、正月に息子の安慶緒あんけいしょに殺されます。
 安慶緒は大燕の帝位に就きますが、幽州挙兵のときから安禄山の同志であった史思明ししめいは、これに反発して独自の行動をとるようになります。内部分裂です。粛宗が鳳翔に行在所を設けたことを、三月も遅いころになって知った杜甫は、長安脱出の決意を固めます。
 長安の西市に南隣して懐遠坊があり、その坊に大雲寺という名刹がありました。杜甫はかねてから大雲寺の寺主賛公さんこうと親しくしていましたので、賛公に長安脱出の決意を打ちあけ、寺内に止宿して機会をうかがうことにしました。
 大雲寺は長安の西の大門である金光門に近く、西市に出入りする人も多種多様ですので、番兵の目を誤魔化すのには便利です。
 杜甫は四月のある夕暮れ、閉門の人ごみに混じって城外に出て、暗くなるまで身をひそめてから西に走ったのでしょう。詩の前半四句は脱出まで、後半四句は鳳翔にたどり着くまでを描いています。
 杜甫がたどる道は、玄宗一行が落ちて行った渭水北岸の道ですが、脱走者である杜甫は昼間の街道をゆくわけにはいきません。
 霧のなかから現われる樹々をたよりに間道を進みます。
 やがて見覚えのある太白山の峰々が雲間から咲き出た蓮の花のように見えてきて、正しく道を辿っていることがわかります。
 尾聯の二句は鳳翔に着いたときのようすで、知人たちは杜甫のやつれた姿に驚くのでした。


 喜達行在所 三首 其二
         行在所に達するを喜ぶ 三首 其の二 杜 甫
愁思胡笳夕     愁思しゅうしす 胡笳こかの夕ゆうべ
淒涼漢苑春     淒涼せいりょうたり 漢苑かんえんの春
生還今日事     生還 今日こんにちの事
間道暫時人     間道 暫時ざんじの人
司隷章初覩     司隷しれいしょうは初めて覩るに
南陽気已新     南陽 気は已すでに新たなり
喜心翻倒極     喜心きしんは翻倒ほんとうして極まり
嗚咽涙沾巾     嗚咽おえつして涙は巾きんを沾うるお
夕暮れに胡笛が鳴れば 愁いはつのり
御苑の春は うらさびしいものだった
生きて今日 ここにいるが
昨日までは 隠れて生きる身であった
皇帝の威令は回復し
行在は 清新の気に満ちている
喜びは 極みに達して
とめどなく 涙は巾きぬを濡らすのだ

 この三首連作は、連作というよりは内容を重複させながらつづくという特殊な形式をとっていて、長安脱出が杜甫にとって如何に印象的な出来事であったかを示しています。
 其の二の詩においても、まず長安での囚われの生活が語られ、いま天子の行在所に到着して如何に喜びに満ちているかが詠われます。
 長安から鳳翔までは、平時では西へ三日の行程であったようです。
 間道や林のなかを隠れてたどった杜甫が幾日でたどり着いたのかは不明ですが、杜甫が涙を流して喜んだのは詩的誇張ではないと思われます。


 喜達行在所 三首 其三
            行在所に達するを喜ぶ 三首 其の三 杜 甫
死去憑誰報     死し去らば誰に憑ってか報ぜん
帰来始自憐     帰り来たりて始めて自ら憐あわれむ
猶瞻太白雪     猶お瞻る 太白の雪
喜遇武功天     遇うを喜ぶ 武功ぶこうの天
影静千官裏     影は静かなり 千官せんかんの裏うち
心蘇七校前     心は蘇よみがえる 七校しちこうの前
今朝漢社稷     今朝こんちょうより漢の社稷しゃしょく
新数中興年     新たに中興ちゅうこうの年を数かぞえん
殺されたら 誰が知らせてくれたろう
辿りついて やっとわが身をいとおしむ
生きてこそ 太白山の雪を眺め
うれしくも 武功の空にめぐりあう
心静かに百官のうちに立ちまじり
安堵の思いで近衛このえの将校たちをみる
今日からは 唐の国家は新しく
中興の時代を迎えるのだ

 其の三の詩でも、前半四句は鳳翔へ駆けつけるときのようすです。
 「武功」は長安から鳳翔までの中間地点にある街で、太白山を望むことができます。杜甫は武功というめでたい地名に祝福の意をこめたのでしょう。後半の四句は鳳翔に着いたときの安心感と将来への祝福です。多くの朝臣たちのなかにいると心は安らぎ、近衛の将校たちの姿には頼もしさを覚えます。これから唐は中興の時代を迎えるのだと、粛宗の将来への祝福の言葉を述べて詩を結びます。

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