少陵野老呑声哭 少陵しょうりょうの野老やろう 声を呑んで哭こくし
哀江頭 江頭を哀しむ 杜 甫
少陵の野老おやじは 声を殺して泣きながら
春の日に 曲江のほとりを忍んで歩く
岸辺の宮殿は あまたの門を鎖し
しだれ柳やかわ柳は 誰のために芽吹くのか
想えば昔 天子が芙蓉苑に御幸みゆきすると
苑中の万物は 喜びで顔を輝かせた
昭陽殿中 第一のお方は
鳳輦に席を同じくして 天子に侍る
輦輿に侍する官女らは 弓箭をたばさみ
白馬は黄金の勒をかんで先駆する
身をよじって天を仰ぎ 箭を雲に放つと
つがいの鳥が落ちてきて あのお方は一笑なさる
杜甫は長安に軟禁されているといっても、城内での行動はかなり自由であったようです。春も盛りのころ、杜甫は曲江に行ってみます。
「潜行す」と言っているので隠れて行ったのでしょう。
曲江の数ある宮殿は門を閉ざしていますが、しだれ柳やかわ柳はいつものように新芽を出していました。杜甫は江頭に佇みながら、玄宗と楊貴妃の遊宴の華やかであったころを回想します。
楊貴妃の事件は起きたばかりですので、同時代に生きた杜甫が事件をどのように見ていたかがわかる貴重な作品です。
明眸皓歯 いまいずくにかある
血にまみれた魂は まださまよいつづけている
渭水は清らかに東に流れ 剣閣の山は深く
行く人と留まる人 消息は彼我に乱れて届かない
人に情がある限り 胸に涙はあふれるが
曲江の水よ 岸辺の花よ 憶いに極みはないというのか
日が暮れて 胡騎が城内に塵を巻き上げ
城南に行こうと思いつつ 目は城北にさまよった
詩でみる限り、杜甫は楊貴妃の豪奢に批判の目を送っていますが、馬嵬での悲劇については同情の気持ちを持っていたようです。
当時はまだ皇帝は特別な存在で、皇帝が追い詰められて愛妃に死を与えるということは、悲劇的なこととして受け止められていたようです。結びの二句は、杜甫が詩のなかの長い思いから現実に立ち返っている姿が出ていて、とても印象的です。
杜甫の居所は城内の南にあったらしく、家に帰ろうとするが、目は城北のほうをさまよったと詠っています。
現実の杜甫の迷える姿が目に見えるような結びです。
城北は宮殿のある北であり、さらに城外の北には官軍がいます。
宮殿には賊軍がたむろしていたでしょうし、城外の官軍には首都奪回の期待を寄せていたでしょう。目はその両方をさまようのです。
なお、長安城内の南部は盛唐の時代でも家は少なく、農地や高官の別荘が点在していたようです。