月夜          月夜   杜 甫
今夜鄜州月     今夜 鄜州ふしゅうの月
閨中只独看     閨中けいちゅう 只だ独り看るらん
遥憐小児女     遥かに憐あわれむ小児女しょうじじょ
未解憶長安     (いま)だ長安を(おも)うを(かい)せざるを
香霧雲鬟湿     香霧こうむに雲鬟うんかん湿うるお
清輝玉臂寒     清輝せいきに玉臂ぎょくひ寒からん
何時倚虚幌     何いずれの時か虚幌きょこうに倚
双照涙痕乾     双ともに照らされて涙痕るいこん乾かん
今夜 鄜州に出る月を
妻は寝屋から ひとり見上げているだろう
可哀そうに 子供たちは幼くて
遠い長安の出来事を 案ずることもできないのだ
霧がおまえの 豊かな髷をつややかに潤し
月のひかりが 白い腕かいなをひえびえと照らす
何時になったら 帷帳とばりにふたり寄り添って
涙の痕を月光で 乾かすときがくるのだろうか

 杜甫が家族を鄜州羌村に避難させている間に、都では大変なことが起こっていました。六月十三日の早朝、玄宗は楊貴妃や一部の皇族、側近をつれて長安を脱出したのです。
 護衛として龍武将軍陳玄礼ちんげんれいが禁衛軍を率いて従いました。
 玄宗は翌十四日に長安の西四〇㌔㍍ほどの馬嵬駅(陝西省興平県)につきますが、そこで禁衛の兵が不満を爆発させ、宰相の楊国忠と楊氏の一族を殺害しました。兵たちはさらに楊貴妃の処刑を要求して一歩も進もうとしません。
 玄宗は拒みきれなくなって楊貴妃をそばの仏堂で縊り殺させます。
 玄宗は皇太子李亨りきょうに都の防衛を命じて、みずからは蜀の成都へ向かいます。しかし、長安は十日ほどで安禄山軍に占領されてしまいますので、李亨は兵をととのえるためにひとまず霊州(寧夏回族自治区霊武県)に向かいました。霊州には朔方節度使の使府が置かれていて、軍事上の拠点であったからです。皇太子は七月十三日に霊州で伝国璽のないまま即位をして帝位に就きます。
 同時に年号も至徳と改元しました。
 こうした都の動きは羌村の杜甫にも伝わってきます。
 杜甫は七月の末になって霊州の新帝粛宗しゅくそうのもとに駆け付けるため、家族を羌村に残して北へ馬を走らせます。鄜州から霊州までは西北に三五〇㌔㍍ほどありますが、蘆子関(陝西省靖辺県)の近くまで来たところで安禄山軍に捕らえられてしまいました。杜甫を捕らえたのは大同(山西省大同市)の高秀岩こうしゅうがんの兵でしょう。
 安禄山は幽州で兵を興すと同時に大同の軍を朔方郡(夏州以北のオルドス地方)に派遣して、北から関中に攻め込ませていました。
 安禄山軍に捕らえられた杜甫は、長安に連行されます。
 長安では多くの政府高官が賊軍に捕らえられていて、洛陽の政府に協力を強要されていましたが、杜甫は微官であったので安禄山の政府に仕えることは命ぜられず、軟禁処分になって城内にとどまることを命ぜられます。五言律詩「月夜」は長安に連行されて間もない晩秋の作で、鄜州羌村に残してきた家族を想う詩です。
 この詩は名作として有名ですが、不思議なのは杜甫が自分の妻を宮女かなにかのように優雅に描いていることです。
 これは杜甫の時代までは家族や特に妻のことを詩に詠う伝統がなかったからだと思います。
 唐代の詩の多くは女性といえば宮女や妓女の閨怨を詠うものです。
 天才詩人の杜甫も、このときまでは自分の妻をどのように詩に詠っていいのか分からなかったのだろうと思います。

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