自京赴奉先県詠懐 五百字 杜 甫
               京より奉先県に赴くときの詠懐 五百字
杜陵有布衣     杜陵とりょうに布衣ふい有り
老大意転拙     老大ろうだいにして意うたた拙せつなり
許身一何愚     身を許すこと一いつに何ぞ愚なる
窃比稷与契     窃ひそかに稷しょくと契せつとに比す
居然成濩落     居然きょぜん 濩落かくらくを成
白首甘契闊     白首はくしゅ 契闊けいかつに甘んず
蓋棺事則已     棺かんを蓋おおえば事は則ち已むも
此志常覬豁     此の志 常に豁ひらけむことを覬ねが
窮年憂黎元     窮年きゅうねん 黎元れいげんを憂え
嘆息腸内熱     嘆息たんそくして腸ちょう  内うちに熱す
杜陵に無位の男がおり
老いてますます心境はつたない
自負心の強さは何と愚かだったことか
ひそかに身を古の賢臣に比している
結果はみごとに空虚なもので
白髪頭を生きることに追われている
棺に入れば万事それまでだが
常に志だけは遂げたいと願っている
一年じゅう民草のことを心配し
ため息をつくと腸はらわたも熱くなる

 やっと任官が決まって生活安定の見込みが立ったので、杜甫は奉先県に預けてある家族を迎えに行くことにしました。
 この旅で作った詩は五言百句、一韻到底(いちいんとうてい)の迫力ある大作です。
 全部を掲げるために十回に分けて掲載します。
 天宝十四載(七五五)冬十一月のはじめ、杜甫は馬車で真夜中に長安を発ち、奉先県への路を急ぎます。冷たい風が北の砂漠地帯から吹きつけてくるなか、杜甫は四十四歳も過ぎようとする冬になって、やっと官職にありつけた自分の人生をかえりみます。まず反省が先に立ちますが、常に民のことを考えて生きてきたと志を述べます。

取笑同学翁     笑いを同学どうがくの翁おうに取るも
浩歌弥激烈     浩歌こうかすること弥々いよいよ激烈なり
非無江海志     江海こうかいの志 無きに非あら
瀟洒送日月     瀟洒しょうしゃとして日月じつげつを送らん
生逢堯舜君     生まれて堯舜ぎょうしゅんの君きみに逢い
不忍便永訣     便すなわち永訣えいけつするに忍しのびず
当今廊廟具     当今とうこん 廊廟ろうびょうそなわり
構廈豈云欠     構廈(こうか) (あに)に欠けたりと云わんや
葵藿傾太陽     葵藿きかく 太陽に傾く
物性固難奪     物性ぶつせいもとより奪い難し
同窓の老人たちから笑われるが
私の歌声は激しさを増すばかりだ
隠退の志がないわけではなく
さっぱりと月日を送ることも考える
だが聖天子の世に生まれたからには
あっさりとお別れするのも忍びない
朝廷には人材が揃っており
大きな建物を造るのに不足はない
向日葵が太陽のほうを向くように
物事の本性を奪うことは難しいのだ

 杜甫の回顧はつづきます。ときには隠退のことも考えなかったわけではないが、堯や舜のような聖天子の世に生まれたからには、なんとかして官に就いて民のために力をつくしたい。この思いは「葵藿」(ひまわり)が太陽のほうを向くようなもので、人の本性を奪うことは難しいのだと自己分析を重ねます。玄宗皇帝の「開元の盛世」はすでに崩れかかっているのですが、その良い時代に育った杜甫は、戦乱のつづいた過去の歴史をかえりみても、また寒門出身者でも才能のある者ならば政事の中枢に与かれるようになった政府の在り方をみても、玄宗の時代を「聖天子の世」と思う理由はあったのです。

顧惟螻蟻輩     顧みて惟おもうに螻蟻ろうぎの輩はい
但自求其穴     但だ自みずから其の穴を求むるに
胡為慕大鯨     胡為なんすれぞ大鯨たいげいを慕したいて
輒擬偃溟渤     輒すなわち溟渤めいぼつに偃せんと擬するや
以茲悟生理     茲ここを以て生理せいりを悟さと
独恥事干謁     独り干謁かんえつを事とするを恥ず
兀兀遂至今     兀兀ごつこつとして遂ついに今に至り
忍為塵埃没     忍しのんで塵埃じんあいに没せ為
終愧巣与由     終ついに巣そうと由ゆうとに愧ずるも
未能易其節     未だ其の節せつを易うる能あたわず
沈飲聊自遣     沈飲ちんいんいささか自ら遣
放歌破愁絶     放歌ほうかして愁絶しゅうぜつを破る
思うに世の螻けらや蟻の連中は
住む穴だけあればいいのに
なんで鯨のまねをして
大海に横たわろうとするのか
世渡りの方法を悟ってはいるが
大官に取り入ることを恥じている
ぎくしゃくして今日の事態にいたり
塵芥に埋もれることに甘んじてきた
いにしえの隠者には恥ずかしいが
おのれの主義を曲げることはできない
酒に浸っていささか心を慰め
気ままに歌って愁いを晴らす

 つぎに聖天子の世であり、朝廷には有能な人材もたくさんいるが、つまらぬ「螻蟻の輩」もはびこっていて分不相応なことをしていると、宮廷の官吏批判に移ります。
 杜甫はそんな大官たちに取り入るのを恥としているので、今日まで塵芥の中に埋もれてきたと自分の立場を弁護します。
 そして昔の隠者のように山林に隠れ住むことができないのは恥ずかしいことだが、自分の主義を曲げることはできないので、酒を飲み、詩を作って、愁いを晴らしてきたのだと苦衷を述べます。

歳暮百草零     歳とし暮れて百草ひゃくそう
疾風高岡裂     疾風に高岡こうこう裂く
天衢陰崢嶸     天衢てんく 陰として崢嶸そうこうたり
客子中夜発     客子かくし 中夜ちゅうやに発す
霜厳衣帯断     霜は厳しくして衣帯いたい
指直不能結     指は直ちょくにして結ぶ能あたわず
淩晨過驪山     (あした)(しの)いで驪山(りざん)を過ぐれば
御榻在帶臬     御榻ぎょとうは帶臬てつげつに在り
今年も暮れて すべての草は枯れ
疾風はやては岡を引き裂くほどに吹く
陰気のつもる都大路みやこおおじを後にして
旅人は真夜中に出発した
きびしい寒さのなか 帯が切れても
指先はかじかんで結べない
夜明けに驪山の麓にさしかかると
玉座は山の険しいところにある

 杜甫はようやく自問自答をやめ、現実にもどります。
 真夜中に都を出た杜甫は、まだ暗いなか馬車をすすめていますが、寒さは厳しく帯が切れても指はかじかんで結ぶことができないほどです。やがて夜が明けはじめ、驪山の麓にさしかかります。
 ここには皇帝の離宮華清宮が築かれていて、山の険しいところに玉座のある宮殿が建っているのが見えてきます。

蚩尤塞寒空     蚩尤しゆうは寒空かんくうに塞ふさがり
蹴踏崖谷滑     崖谷がいこくの滑かなるに蹴踏しゅくとう
瑤池気鬱律     瑤池ようちに気は鬱律うつりつとして
羽林相摩戛     羽林うりんは相い摩戛まかつ
君臣留懽娯     君臣 留とどまりて懽娯かんご
楽動殷膠葛     楽がくは動きて膠葛こうかつに殷いんたり
賜浴皆長纓     浴よくを賜わるは皆な長纓ちょうえい
与宴非短褐     宴えんに与あずかるは短褐たんかつに非ず
彤庭所分帛     彤庭とうていにて分わかつ所の帛はく
本自寒女出     本と寒女かんじょより出ず
鞭撻其夫家     其の夫家ふかを鞭撻べんたつして
聚斂貢城闕     聚斂(しゅうれん)して城闕(じょうけつ)に貢がしむ
軍神の星が冬の寒空をふさぎ
兵士は滑りやすい崖を走りまわる
温泉には湯気が立ちこめ
近衛の兵の物の具の音がする
君臣は逗留して楽しみに耽り
楽の音は無限の空に響きわたる
入浴を賜わるのはすべて高位の者
低位の者は宴席にも侍れない
朝廷の広場で賜わる帛きぬ
貧しい家の娘が織ったもの
家のあるじを鞭打って
貢ぎの品として集めたものだ

 ここで驪山の華清宮のようすが描かれます。
 山の険しいところにある宮殿のまわりには、兵士たちが護衛に立ち、温泉からは湯気が立ちのぼっています。天子や高官たちは楽しみに耽っているけれども、入浴できるのは高位の者だけで、位の低い者は宴席にも侍れないと階級の別の激しいことを指摘します。
 杜甫は華清宮に入ったことはないので、噂で聞いたものでしょう。
 朝廷で臣下に賜わる「帛」(絹布)も、もともとは貧しい家の娘が織ったもので、貢ぎの品として強制的に集めたものだと指摘するのです。

聖人筐篚恩     聖人 筐篚きょうひの恩
実願邦国活     実に邦国ほうこくの活きむことを願う
臣如忽至理     臣 如し至理しりを忽ゆるがせにせば
君豈棄此物     君は豈に此の物を棄つるや
多士盈朝廷     多士たし 朝廷に盈つるも
仁者宜戦慄     仁者(じんしゃ)(よろ)しく戦慄(せんりつ)すべし
天子が竹籠に入れて賜わるのは
民の生活を活気づける思し召しなのだ
この至上の理ことわりを疎かにするならば
君王は国の品たからを棄てたことになる
朝廷には人材が満ちているが
心あるものは恐れおののくがよかろう

 杜甫は天子の存在を否定する者ではありません。
 天子が臣下に物を下賜するのは、民の生活を活気づけようとの考えからなのだと言っています。
 だから臣下たるものは、この思し召しを疎かにしてはならないのだと、臣下の心掛けに批判の目を向けるのです。
 「仁者は宜しく戦慄すべし」と心ある者の反省を促しています。

況聞内金盤     況いわんや聞く 内うちの金盤きんばん
尽在衛霍室     尽ことごとく衛えいと霍かくの室に在りと
中堂舞神仙     中堂ちゅうどうに神仙しんせんを舞わせ
煙霧散玉質     煙霧えんむは玉質ぎょくしつに散ず
煖客貂鼠裘     客を煖あたたむるは貂鼠ちょうその裘きゅう
悲管逐清瑟     悲管ひかんは清瑟せいしつを逐
勧客駝蹄羮     客に勧すすむるは駝蹄だていの羮あつもの
霜橙圧香橘     霜橙そうとうは香橘こうきつを圧あつ
朱門酒肉臭     朱門しゅもんには酒肉しゅにくくさきに
路有凍死骨     路みちには凍死とうしの骨有り
栄枯咫尺異     栄枯えいこは咫尺しせきにて異なり
惆悵難再述     惆悵ちゅうちょうして再び述べ難がた
聞けば宮中の金の大皿は
すべて権臣の家に移ったという
奥座敷では絶世の美女を舞わせ
薄絹が玉の肌にちらついている
客を暖めるのは貂の皮ごろもであり
笛の音が清らかな瑟に和す
駱駝のひずめの羮を客に勧め
熟れた橙が香りのよい橘とひしめきあう
高貴の家では酒も肉も腐っているのに
路傍には凍死者の骨が横たわる
栄華と衰亡が隣り合うのを見れば
悲しみは極まって言葉も出ない

 ところで現実はどうでしょうか。
 宮中の宝物はすべて衛青や霍去病(漢の武帝の寵臣)といった権臣の家に移ってしまい、権臣たちは栄華を極めていると杜甫は詠います。
 漢代を借りていますが、杜甫の頭にあるのは楊貴妃一族の並はずれた贅沢な生活でしょう。ここで「朱門には酒肉臭きに 路には凍死の骨有り」と有名な二句が挿入されます。そして栄華と衰亡が隣り合っているのを見れば、悲しみは極まって言葉も出ないと嘆くのです。

 北轅就涇渭     轅ながえを北にして涇渭けいいに就
 官渡又改轍     官渡かんとにて又た轍わだちを改む
 群氷従西下     群氷ぐんぴょう 西にしり下り
 極目高卒兀     極目きょくもく 高くして卒兀しゅつごつたり
 疑是崆峒来     疑うらくは是れ崆峒くうどうより来たるかと
 恐触天柱折     恐らくは触れなば天柱てんちゅうも折れん
 河梁幸未坼     河梁かりょうは幸いにして未だ坼くだけず
 枝撑声悉窣     枝撑ししょう 声 悉窣しつしゅつたり
 行旅相攀援     行旅こうりょは相い攀援はんえんすれども
 川広不可越     川は広くして越ゆる可からず
北へ車を向けて涇渭の流れにいたり
渡し場で別の車に乗りかえる
流氷が西から流れてきたが
見上げるほどに聳えている
多分崆峒山から来たのであろう
衝突すれば天の柱も折れそうだ
幸いに舟橋は壊れていなかったが
支えの木組みはぎしぎしと鳴っている
旅人は手を取り合ってゆくが
川幅が広くて渡りきれない

 奉先県へ行くには、驪山の麓で左折して北へ向かわなければなりません。やがて涇水が渭水に合流する地点の少し下流いたり、そこで渭水を渡るのです。流氷が西から流れてきますが、それは涇水の上流の崆峒山から流れてきたものであろうと杜甫は想像します。
 官人である杜甫は渡橋用の別の車に乗り換えますが、一般の人は揺れる浮梁(小舟を横につなぎ合わせて板を敷き並べた舟橋)を手を取り合って渡ってゆきます。

 老妻寄異県     老妻ろうさいは異県いけんに寄あず
 十口隔風雪     十口じつこうは風雪ふうせつを隔へだ
 誰能久不顧     誰か能く久しく顧かえりみざらん
 庶往共饑渇     庶ねがわくは往いて饑渇きかつを共にせん
 入門聞号咷     門に入れば号咷ごうとうを聞く
 幼子飢已卒     幼子ようしの飢えて已すでに卒しゅつ
 吾寧捨一哀     吾われなんぞ一哀いちあいを捨おしまんや
 里巷亦鳴咽     里巷りこうも亦た鳴咽おえつ
 所愧為人父     愧ずる所は人の父と為
 無食到夭折     食しょく無くして夭折ようせつを到いたせしを
老妻は他県に預けてあり
家族十人風雨を隔てて暮らしている
どうしてこのままでいられようか
早く行って飢えと渇きを共にしよう
門を入ると泣き叫ぶ声がした
幼子が飢えて死んだところであった
私は嘆き悲しまずにはいられない
里人たちも共にむせび泣く
恥ずかしいのは人の子の親として
食べ物がなくて死なせたことだ

 奉先県に着いて妻子のいる家の門にはいると、杜甫は思いがけないことに出会います。門内から泣き叫ぶ声が聞こえてきて、幼いわが子が飢えて死んだところでした。
 杜甫は嘆き悲しみますが、それと同時に人の子の親として、食べ物がなくてわが子を死なせたことを恥じるのでした。

 豈知秋禾登     豈に知らんや秋禾しゅうかの登みのるに
 貧窶有倉卒     貧窶ひんくには倉卒そうそつたる有り
 生常免租税     生せいは常に租税を免まぬかれ
 名不隸征伐     名は征伐に隸れいせず
 撫迹猶酸辛     迹あとを撫すれば猶お酸辛さんしんたり
 平人固騒屑     平人へいじんは固もとより騒屑そうせつたらん
 默思失業徒     默もくして失業の徒を思い
 因念遠戍卒     因りて遠戍えんじゅの卒そつを念おも
 憂端斉終南     憂端ゆうたんは終南しゅうなんに斉ひとしく
 鴻洞不可掇     鴻洞こうどうとして掇ひろう可からず
この秋は豊作と聞いていたのに
貧乏人には思わぬことが起こるのだ
私は常々租税免除の身分であり
兵役からもはずされている
そんな身でも辛いことが多いとすれば
普通の人にはどんな苦労があるだろう
失業した人々のことを思い
遠征の兵士たちに思いを致す
すると憂いは終南山ほどにひろがり
混沌として糸口も見つけられない

 杜甫の詩の特徴のひとつは、自分のことを詠うだけでなく、わが身を通じて人のことを思いやる心が著しいことです。唐代では士身分の者は租税や兵役などの役務えきむから免除されていました。
 杜甫は士身分ですので、官に就いていなくても諸役を負担する必要はありません。
 そんな身分の自分でさえ、生活が苦しくて幼い子供を死なせるほどであるのに、一般の人はどんなに苦しんでいるだろうと、失業している人や遠征にかり出されている人々の苦労を思いやるのです。
 憂いは山のように拡がるけれども、微役の身ではどうすることもできないと嘆きます。

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