示従孫済       従孫の済に示す 杜 甫
平明跨驢出     平明へいめいに跨またがって出
未知適誰門     未だ誰の門に適くかを知らず
権門多噂沓     権門けんもんには噂沓そんとう多し
且復尋諸孫     且つ復た諸孫しょそんを尋ねん
諸孫貧無事     諸孫は貧にして事こと無く
宅舎如荒村     宅舎たくしゃは荒村こうそんの如し
堂前自生竹     堂前どうぜんには自おのずから竹を生じ
堂後自生萱     堂後どうごには自ら萱けんを生ず
萱草秋已死     萱草けんそうは秋に已すでに死し
竹枝霜不蕃     竹枝ちくしは霜に蕃しげらず
夜明けに 驢馬に乗って出かけるが
誰のところに行くのか決めていない
権門には へつらいや陰口が多いので
親類の孫たちでも尋ねよう
孫たちは 貧乏で仕事もなく
住んでいるところは荒れた村のようだ
堂前の庭には 自然に竹が伸び
裏には萱草が生えている
萱草は秋を過ぎて はやくも枯れ
竹の枝も 霜にうたれて茂っていない

 騒々しかった杜曲の家は、異母弟の杜観・杜占との三人暮らしになりました。しかし、杜甫には仕事がありません。「従孫」というのは当主の孫の世代に属する同族のことですが、従孫の杜済とせいという者が近くに住んでいましたので、夜明けに驢馬に乗って訪ねてゆきました。
 杜済は杜甫よりも八歳しか年少でなかったようですが、のちに東川節度使兼京兆尹(京兆尹は寄禄官)に出世します。
 しかし、このころは官に就いていなかったようで、杜甫は「宅舎は荒村の如し」と言っています。「堂」というのは住宅の主室のことですが、堂前堂後は荒れた冬景色で、貧しいようすがうかがえます。

 淘米少汲水     米こめを淘ぐには少しく水を汲
 汲多井水渾     汲むこと多ければ井水せいすいにご
 刈葵莫放手     (あおい)を刈るには手を放ままにする()かれ
 放手傷葵根     手を放ほしいままにすれば葵根きこんを傷つく
 阿翁嬾惰久     阿翁あおうは嬾惰らんだなること久しく
 覚児行歩奔     児の行歩こうほして奔はしるを覚おぼ
米をとぐなら 水は少なめに汲むがよい
汲み過ぎると 井戸水が濁るのだ
葵を刈るときは 丁寧に扱うがよい
乱暴にやれば 葵の根にきずがつく
この翁じいは 怠け癖がついて久しく
お前たちの働く様子を見ていると 走っているようだ

 杜甫が来たというので、家人は急いで食事の支度をはじめたようです。杜甫は家事に託して事柄の本源を大切にしなければならないことを説きます。説きながら、自分は「嬾惰なること久しく」、お前たちの働く様子を見ていると走っているようだと、ほめるのも忘れません。

 所来為宗族     来たる所は宗族そうぞくの為なり
 亦不為盤飧     亦た盤飧ばんそんの為ならず
 小人利口実     小人しょうじんは口実こうじつを利す
 薄俗難可論     薄俗はくぞくは論ず可きに難かた
 勿受外嫌猜     外ほかの嫌猜けんさいを受くる勿なか
 同姓古所敦     同姓の古いにしえより敦あつくする所なり
やってきたのは 一族を心配してのこと
ご馳走にありつこうと思ってきたのではない
小人は食べ物をめあてに来るが
そうした薄っぺらな行為は論ずるに及ぶまい
外からの嫌みやそねみに 惑わされてはならぬ
同姓の者は仲よくせよと 古人は昔から諭している

 最後の六句は、食糧不足の折であるので、自分が食事めあてに訪ねてきたのではないかと思われるのを恐れて弁解をしています。
 この詩は家人に聞かせようと思って作っているので、ところどころに古い詩の技法である蝉聯体せんれんたい(前句の末尾を次の句の頭に畳用する形)を用い、用語は平明で諄々と説くように詠っています。

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