城外遠くの林は いくらか涼しいので
李公がわが家に立ち寄られた
貧乏ずまいは 田舎砦のようなもの
辺鄙な所だが 南門の城楼に近い
近所の人は淳樸で
必要なものも手に入りやすい
一軒先の酒屋に声をかけ
酒はあるかと 問いかける
土塀越しに濁り酒が手渡され
筵を広げて川岸に寝ころぶ
ときには杜甫の新しい杜曲の家を訪ねてくる客もありました。
そのひとり「李公」は不明ですが、一本に「李家令」とあり、皇太子の家令李炎りえんではないかという説もあります。とすれば重要な客です。詩中で杜甫は杜曲を「貧居 村塢に類し」と言っていますが、塢おというのは山野の窪地を利用した小障小とりでのことですので、貧乏ずまいだが都のまもりについているつもりと言っていることになります。
家のなかはむさくるしいので外がいいですよ、とかなんとか言いながら、近所の酒屋から濁り酒を取り寄せ、川岸に筵を広げて案内します。李公は大切な客ですが、気のおけない人であったようです。
清らかな風が 左右から吹き
お客はもう秋が来たかと驚く
巣が多いので 林の鳥はあらそい
葉が茂っているから 蝉がさかんに鳴いている
そのやかましさに困りはて
廬いおりが奥床しいとはとても思えない
日暮れになれば 蓮の花が静かに咲く
この眺めだけで 逗留の値打ちはある
それにしても気になるのは 樽の中の残り酒
席を起って持て成しのため 一工夫めぐらすのだ
川辺には清らかな風が吹いていて、李公は涼しいですねなどと言ったのでしょう。「巣多くして衆鳥闘い」などと言っているのは、家は子供が多くて騒がしいからと、言いわけを言っているのかもしれません。
「孰か謂う 吾が廬幽なりと」という句が、そのことを示しています。
しかし、日暮れになって「水花」(蓮の花)が静かに咲くと、逗留していただく値打ちはありますと、歓迎の意を示します。
とはいっても、気になるのは樽の中の酒が残り少なくなったことです。
この詩は杜甫が自分の複雑な気持ちを諧謔まじりに描いています。