同諸公登慈恩寺塔  諸公の慈恩寺の塔に登るに同ず 杜 甫


 高標跨蒼天
     高標こうひょう 蒼天そうてんに跨
 烈風無時休     烈風れつふう 休む時無し
 自非曠士懐     曠士こうしの懐かいに非あらざる自りは
 登茲翻百憂     茲ここに登れば百憂ひゃくゆうを翻ひるがえさん
 方知象教力     方まさに知る  象教しょうきょうの力
 足可追冥捜     冥捜めいそうを追う可きに足るを
 仰穿龍蛇窟     仰いで龍蛇りゅうだの窟くつを穿うが
 始出枝撐幽     始めて枝撐しとうの幽ゆうなるを出ず
目印のように 蒼天高く立ちあがり
烈風は やすみなく吹きつのる
広い心の持ち主でなければ
ここに登ると さまざまな憂いが湧いてくる
今こそ仏教の力によって
不可知の世界を探れることを知る
蛇のようにうねる洞窟を 仰ぎながら登り
やっと小暗い木組みの場所から抜けて出る

 もちろん杜甫にも、心許せる友人はいます。しかし彼らも、杜甫と似たような境遇の詩人たちです。秋になって杜甫は、詩人の岑参しんじん、高適こうせき、儲光羲ちょこうぎらと慈恩寺の塔に登りました。
 現在も大雁塔として残っている仏塔です。
 詩ははじめの八句で天空にそびえ立つ慈恩寺塔の勇姿を描きます。
 その姿は人々を勇気づけるようなものではなく、さまざまな憂いを呼び起こします。「仰いで龍蛇の窟を穿ち」という表現は、甎せんを積み上げた大雁塔の螺旋階段を最上階まで登ってみれば、いまもそのままであることが実感できるでしょう。

七星在北戸     七星しちせい 北戸ほくこに在り
河漢声西流     河漢かかん 声は西に流る
羲和鞭白日     羲和ぎわ 白日はくじつを鞭むちうち
少昊行清秋     少昊しょうこう 清秋せいしゅうを行う
秦山忽破砕     秦山しんざん 忽ち破砕はさい
涇渭不可求     涇渭けいい 求む可からず
俯視但一気     俯視ふしすれば但だ一気
焉能辯皇州     焉いずくんぞ能く皇州を辯べんぜん
北斗七星は 北の戸口の前にあり
天の川は 声をあげて西へ流れる
日輪の御者は白日を鞭打って走り
季節の神は 清らかな秋をつかさどる
関中の山は あっという間に砕け散り
涇水も渭水も清濁の区別がつかない
見おろせば 靄が薄く立ちこめて
ここが帝都であるか見分けもつかない

 慈恩寺塔の最上階の窓から見渡すと、「七星」も「河漢」も「白日」も間近にあるように高いが、清らかなのは秋の空だけだと杜甫は詠います。目に映るのは「秦山」が砕け散り、「涇渭」は清濁の区別もつかないほどだと長安が危機的な状況にあることを詠います。
 「俯視すれば但だ一気 焉んぞ能く皇州を辯ぜん」と、ここが帝都であるか見分けもつかないほどだと嘆くのです。
 杜甫は比喩を多用して、今の政事の混迷を愁えるのでした。

 廻首叫虞舜    首こうべを廻めぐらして虞舜ぐしゅんを叫べば
 蒼梧雲正愁    蒼梧そうごに雲は正まさに愁う
 惜哉瑶池飲    惜しい哉 瑶池ようちの飲いん
 日晏崑崙丘    日は晏る 崑崙こんろんの丘おか
 黄鵠去不息    黄鵠こうこく 去りて息いこわず
 哀鳴何所投    哀鳴あいめい 何の投ずる所ぞ
 君看随陽雁    君看よ 陽に随う雁かり
 各有稲粱謀    各々おのおの稲粱とうりょうの謀はかりごと有るを
首を廻らして 舜帝を呼ぶが
蒼梧の地には 愁いの雲が流れている
瑶池では めでたい酒が酌み交わされているのに
崑崙の丘では 日が沈みはじめているのが残念だ
黄鵠はやすむことなく飛び
哀しく鳴きながら どこに身を寄せるのか
諸君見るがよい 季節に随って飛ぶ雁は
それぞれの食糧を手にする術を心得ているのだ

 最後の八句は、杜甫の感慨を述べるものです。
 首を南の方角にめぐらせて、聖帝「虞舜」の助けを求めてみるけれども、舜帝の眠る「蒼梧」の地には愁いの雲がかかっているだけです。
 「瑶池の飲」や「崑崙の丘」は華清宮や驪山の暗喩であり、杜甫は楊貴妃と遊び暮らしている玄宗の生活を批判しています。
 「黄鵠」は杜甫自身のことで、やすみなく飛んで鳴き声をあげるけれども、身を寄せるところさえないと嘆きます。
 そして、季節に随って移動する雁は権力におもねって地位を得るすべを知っていると、時流に乗って出世する人々を批判するのです。

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