遣 懐          懐を遣る   杜 甫
昔我遊宋中     昔 我 宋中そうちゅうに遊ぶ
惟梁孝王都     惟れ梁りょうの孝王の都なり
名今陳留亜     名は今 陳留ちんりゅうに亜
劇則貝魏倶     劇げきは則ち貝魏ばいぎに倶ひと
邑中九万家     邑中ゆうちゅう 九万家
高棟照通衢     高棟こうとうは通衢つうくを照らす
舟車半天下     舟車しゅうしゃは天下に半なかばし
主客多歓娯     主客は歓娯かんご多し
白刃讎不義     白刃はくじん 不義に讎あだ
黄金傾有無     黄金おうごん 有無うむを傾く
殺人紅塵裏     人を紅塵こうじんの裏うちに殺し
報答在斯須     報答ほうとう 斯須ししゅに在り
昔 宋州で遊んだことがある
梁の孝王が都としたところだ
名は陳留につぐが
にぎわいは貝州や魏州にひとしい
城内には九万戸の家々
高い棟木が十字の街路につらなっている
舟や車は 天下の半ばを集め
土地の者も旅人も 共に楽しく暮らしている
不義の者は白刃でこらしめ
黄金は有無にかかわらず使いつくす
街上で人を殺せば
すぐに報復を受けるのだ

 杜甫が洛陽の人士と交わっていた天宝の初年、李白は長安に召されて翰林供奉かんりんぐぶになっていました。天宝三載(七四四)の春、李白は長安を辞して東に向かう途中、洛陽に立ち寄ります。
 都で著名の詩人が洛陽に来たというので、杜甫は李白を訪ねます。
 二人は文学について語り合ったと思われますが、杜甫は李白の強烈な個性に魅せられ、李白と共に旅をしたいと思います。
 しかし丁度そのとき、杜甫の祖母が亡くなりますので、秋になったら陳留(河南省開封市)で再会する約束をして別れました。
 秋八月になって杜甫が李白のあとを追うと、李白はすでに宋州(河南省商丘市)に移っていました。杜甫は宋州で李白と再会し、そのころ近くを旅していた高適こうせきも加わって三詩人の梁宋りょうそうの旅がはじまります。
 実は「壮遊」の詩はあと六十二句にわたってつづくのですが、梁宋の旅についてははぶかれています。それは同じ時期を回顧する二篇の詩が「壮遊」の詩と同じ大暦元年に作られているからです。
 「遣懐」はそのひとつで、「宋中」(宋州)で遊んだことを詠います。
 詩のはじめの十二句は宋州の街の描写で、大変にぎやかな街であることが述べられています。宋州は漢の梁孝王が都としたところで、孝王は呉楚七国の乱のときに武功がありました。孝王は天下の豪傑や儒者、遊説の徒を宋中に集めて、城内は繁栄を極めました。
 住民にはいまもその気風が残っていると杜甫は詠います。

憶与高李輩     憶おもう 高李こうりが輩はい
論交入酒壚     交こうを論じて酒壚しゅろに入る
両公壮藻思     両公 藻思そうしさかんなり
得我色敷腴     我を得て 色いろ敷腴ふゆたり
気酣登吹台     気酣たけなわにして吹台すいだいに登り
懐古視平蕪     古いにしえを懐おもうて平蕪へいぶを視
芒碭雲一去     芒碭ぼうとう 雲は一去いちきょ
雁鶩空相呼     雁鶩がんぼくむなしく相呼ぶ
想えば 李白や高適らと
交わりを結んで酒屋に行った
文学への志操は 共にさかんであるが
私を見出して くつろぎ喜ぶ様子である
意気揚々と吹台に登り
荒れた野原を見ながら 昔を思う
芒山・碭山の雲気は消え去り
雁や家鴨の むなしい啼き声が聞こえるだけ

 宋中で出会った李白、高適こうせき、杜甫の三人は気が合って酒屋に繰り込み、文学を論じます。三人のなかでは杜甫が年少(三十三歳)ですので、李白と高適は若い才能を見出したと喜ぶのです。
 三人は宋州の「吹台」(孝王の旧苑に)登り、あたりの荒れた平原を見まわしながら、昔のことを思い出します。
 詩中に出てくる「芒碭」は芒山と碭山のことで、漢の高祖劉邦が若いころ官憲の追求を逃れて身を隠したという伝説の場所です。「芒碭」は宋州の東九〇㌔㍍のところにありますので、吹台からは見えませんが、ここで見ているのは「芒碭」から立ち昇ったという劉邦の雲気(天子の生まれる気運)です。
 三人は劉邦の創業のさまを思って感慨にふけるのでした。
 しかし、漢の雲気もいまは消え去って、雁や家鴨が啼き交わすだけだと、王朝の衰退を歎きます。
 唐代の詩で唐を漢や秦に例えるのは通常の手法です。

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