風は林を吹き抜け 三日月は沈み
上衣は露に濡れて 新しい琴に糸を張る
暗がりを 水は花の小径に沿って流れ
春の星は 草堂を包んでまたたいている
書物を調べては 蝋燭のつきるのを忘れ
剣を鑑賞しては 思わず酒がながくなる
詩作が終わって 呉の歌を聞くと
小舟に乗ってさすらった 昔のことを思い出す
「左氏」も不明の人物ですが、天宝の初年、洛陽での作とされています。この詩では時間の流れに沿って、当時の宴会の模様が詠われています。まず、前半の四句で「左氏荘」の夜景が描かれ、新しい琴に糸が張られて演奏を待つばかりです。庭には細流が流れ、空には春の星が草堂を包むようにまたたいています。
後半の四句は、琴の演奏が終わった後の室内での交流の楽しみです。
左氏は自分の蔵書を客に示し、一同は書の内容を論じて時のたつのも忘れるほどです。剣を鑑賞しながら酒を酌み交わし、思わずながくなってしまいます。当時の士人は文武に関心を寄せていたのであって、単なる文雅の遊びではありません。
最後に互いに詩を賦して感懐を述べあい、歌手が出てきて呉の民謡を詠うと、杜甫はむかし旅した呉越の日々を思い出すと詠うのです。
贈李白 李白に贈る 杜 甫秋来相顧尚飄蓬 秋来しゅうらい 相顧みれば 尚お飄蓬ひょうほうたり
秋になり顔を見合わせると 瓢か蓬のように頼りない
いまだ丹砂にも辿りつけず 葛洪に合わせる顔がない
飲み明かし 歌い狂って 空しく日を送り
飛び跳ねて暴れているが 誰のためにやっているのだ
単父での交遊のあと、李白と杜甫は高適と別れ、二人は斉州(山東省済南市)へ行くことになりました。
単父から斉州へゆく途中には、兗州があります。
兗州はこのころ魯郡と改称されており、兗州都督府の司馬であった杜閑もすでに転勤していたらしく、杜甫は父のもとに立ち寄らずに斉州に行っています。斉州に着くと、李白は道士の資格を取るために、斉州の道観紫極宮の道士高如貴こうじょきのもとに入門します。
杜甫は李白といっしょに斉州に来たものの、道士の修行にまで李白とつき合う気はありません。そこで当時、斉州司馬として斉州に赴任してきていた李之芳りしほうのもとに身を寄せます。
李之芳は太宗の玄孫で皇室の一員ですが、なにかの事情で地方の司馬の職に就いていたようです。
杜甫は翌天宝四載(七四五)の夏の終わりまで斉州にいて、李之芳の知人や斉州の知識人と交流して過ごします。
秋になると斉州を出て魯郡の李白の家を訪ね、しばらく李白といっしょに暮らします。李白は道士の修行を終えると、魯郡の「魯の一婦人」と称される女性のもとで日を過ごしていました。
魯郡では杜甫は李白に連れられて、道士や隠士のもとを訪れたりしますが、杜甫は道教や隠士の生活にあまり深入りはしませんでした。掲げた詩は、そのころ杜甫が李白に贈った作品とされています。
この詩を一見すると、道教にうつつを抜かしている李白を、杜甫が批判しているようにも受け取れます。
事実はそうではなくて、いまだ官途にも就けずに魯郡のあたりをさまよっている自分自身を批難しているのです。
天下国家のためにつくすのが自分たちの役割ではないかと反省している詩と思われます。
昨年の秋に梁宋の旅に出てから、すでに一年が経過しています。
このころ杜甫の父杜閑は奉天県(陝西省乾県)の県令になっていたらしく、杜甫は父から長安に出てくるように促されていたと思います。
やがて李白と杜甫は、魯郡曲阜の東北にある石門山の林中で別れの杯を酌み交わします。