今日は寺院を散策し
そのうえ寺の境内に泊まる
北の谷間で 風がうつろな音を立て
月下の林は 清らかな光を放つ
両岸の山に 星が間近に垂れ下がり
山中に臥していると 着物も冷たく感ずる
明朝目ざめようとして 鐘の音を聞けば
私の心に深い反省の念が生ずるであろう
杜甫の詩のなかで初期のものと見られる五言律詩を掲げます。
進士に不合格となった杜甫は、その年と翌開元二十四年は洛陽にとどまっていました。そのころ龍門の奉先寺に遊んだ可能性があります。奉先寺は龍門最大の石屈寺院で、則天武后を模したという高さ一七㍍の廬舎那仏はいまも龍門に鎮座しています。
寺院は粛宗の上元二年(七六一)に完成していますので、杜甫が訪れたころは建設の途上であったはずです。
杜甫のもっとも得意とする五言もしくは七言の律詩は、八句のうち前半四句を叙景もしくは叙事にあて、後半四句を感懐にあてる形式が普通だったようですが、杜甫ははじめの二句を導入部、中四句を事柄の描写、最後の二句を結びの感懐に充てる形式を好み、「龍門の奉先寺に遊ぶ」もそのようになっています。
はじめの二句で寺を散策し泊まったこと、中四句は僧坊にいて室外の風の音に耳を澄まし、樹林が月の光を反射して輝くのを見ます。
そしてさらに龍門の夜の様子に思いをめぐらすのです。
最後の二句は翌朝目ざめたときを想像して結びとするもので、朝に聞く鐘の音は私に「深省を発せしめん」と宿坊に泊まったことの意義を述べています。
望嶽 岳を望む 杜 甫岱宗夫如何 岱宗たいそう 夫それ如何いかん
音に聞く泰山は さてどんな山か
斉魯にまたがり 緑はどこまでもつづく
天地万物の理は すぐれた妙をあつめ
太陽と月が 朝と夕べを分ける
胸を時めかせて 曾雲が湧き
眥を決するなか 鳥がねぐらに帰ってゆく
いつの日か きっと山頂をきわめ
群小の山を 見おろすであろう
杜甫の父杜閑は、そのころ兗州都督府の司馬(次官のひとり)の任にあったとみられています。兗州(山東省兗州市)は春秋魯の都曲阜きょくふのすぐ西になりますが、当時は東郡に属していたようです。
開元二十八年(七四〇)に杜甫は二十九歳になっていました。
四年間にわたる斉魯の旅の最後は、兗州の父の官舎に滞在するかたちで過ごしたことでしょう。東岳泰山は兗州の北八〇㌔㍍ほどのところにあり、兗州から泰山の付近まで足を延ばすのは容易です。
「望嶽」は兗州にいたころの作品と推定されています。
詩は泰山全体を見渡したものになっており、杜甫の残された作品の中では初期の名作とされています。
五言律詩のはじめの二句は、「岱宗 夫れ如何」と問いかける導入部です。中四句で泰山の姿を描きますが、はじめの二句は泰山の雄大さを哲理の言語で讃え、あとの二句は自然の情景を自己との感応で語ります。最後の二句は結びで、杜甫は未来への決意を声高らかに述べるのです。若い杜甫の満々たる自負心と人生への希望を読み取ることができます。