九月十日即時    九月十日 即時  李 白
昨日登高罷     昨日さくじつ 登高とうこう
今朝更挙觴     今朝こんちょう 更に觴さかずきを挙ぐ
菊花何太苦     菊花きくか 何ぞ太はなはだ苦しき
遭此両重陽     此の両重陽りょうちょうように遭うは
登高の宴は 昨日済んだのに
今朝はまた さらに杯を挙げている
菊の花には なんとも気の毒なことだ
可哀そうに 二度もの重陽節に出逢うとは

 九月十日は小重陽しょうちょうようといって、重陽節を重ねて楽しむ日でした。前日につづいて朝から菊の花びらを浮かべた菊酒を飲むので、李白は「菊花 何ぞ太だ苦しき」と菊の花に同情を寄せています。
 自分の酒好きを菊の花で誤魔化している節がみえみえです。
 李白の病気は過度の飲酒が原因であったと思われ、重陽節のあと、李白は再度の病に臥し、当塗県令李陽冰の世話になります。


臨路歌           臨路(臨終)の歌  李 白
 大鵬飛兮振八裔   大鵬たいほう飛んで八裔はちえいに振ふる
 中天摧兮力不済   中天ちゅうてんに摧くだけて力済すくわず
 余風激兮万世     余風よふうは万世ばんせいに激し
 遊扶桑兮挂石袂   扶桑(ふそう)に遊んで石袂(左袂(さへい))を()
 後人得之伝此     後人こうじんこれを得て此これを伝う
 仲尼亡乎誰為出涕 仲尼(ちゅうじ)亡びたるかな誰か為に涕を出ださん
大鵬は飛んで 八方に翼を伸ばしたが
中天でくじけ 自らを救う力はない
影響は 万世に及ぶであろうが
扶桑の国に遊んで 左の袖をひっかけてしまう
後世の人が この鳥を得て世に伝えても
孔子が亡くなった今 誰が涙を流してくれるであろうか

 李県令は李姓ですが、李白の親戚ではありません。
 李白は知人の家で二か月余り病臥したあと、その年の冬十一月にこの世を去りました。享年六十二歳です。
 枕頭に妻宗氏と息子伯禽がいたかどうかはわかりません。
 しかし、伯禽が皖南地方で生活したことは、伯禽の二人の娘、つまり李白の孫娘が農民の妻となって付近に住んでいたことからわかります。死が近いことを知った李白は詩稿のすべてを李陽冰に託し、死後に世に出すことを依頼して絶筆の一首を遺しました。
 この詩には題名のほかに一か所の誤字があると見られていますが、伝聞転写の際の誤字でなければ、李白は誤字を正す暇もなく逝ったことになります。李白が自分を『荘子』に出てくる大鵬に擬したことは、若い頃の詩にも見られることです。
 大鵬は八方に翼を伸ばしたけれども、中天で力くじけて飛ぶことができなくなったと詠います。結びの二句は後世の人が大鵬(李白)のことを知っても、孔子がいなくなったいまは、孔子が「獲麟」に涙したように、誰が自分のために泣いてくれるだろうかと結ぶのです。
 詩の天才李白の壮大な自らを自負する人生は、このようにして幕を閉じました。

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