覧鏡書懐       覧鏡書懐   李 白
得道無古今     道みちを得れば古今ここん無く
失道還衰老     道を失えば還た衰老すいろう
自笑鏡中人     自ら笑う 鏡中きょうちゅうの人
白髪如霜草     白髪 霜草そうそうの如し
捫心空歎息     心を捫でて空むなしく歎息し
問影何枯槁     影に問う 何ぞ枯槁ここうせると
桃梨竟何言     桃梨とうりついに何をか言う
終成南山皓     終ついに南山なんざんの皓こうと成らん
道を会得すれば 古今を超越し
道を失えば 人並みに老衰する
鏡に映るこの姿 われながら笑ってしまう
白髪は 霜に打ちのめされた草のようだ
胸に手を当てて 空しく溜め息をつき
何故こんなに痩せたのかと 鏡の中の自分に問う
桃梨は何も言わなかったが おのずから路ができ
つまりは南山の四皓となって終わりを迎えよう

 この詩も「江南春懐」と同じころの作品です。「自ら笑う 鏡中の人 白髪 霜草の如し」と鏡に映る自分の顔を見て歎息します。
 結びの二句「桃梨 竟に何をか言う 終に南山の皓と成らん」は『史記』を踏まえています。李将軍列伝の論賛に「桃李言ものいはざれども、下自ら踁こみちを為す」という有名な個所があり、桃李は何も言わないけれど、花や実が人を引きつけて、木の下に小径ができる。そんな生き方を立派であると思うのです。
 また、桃李の花や実を李白の詩と考えれば、自分の名は詩によって後世に残るであろうと言っているようにも思われます。そして、これからは「南山の皓」(秦末に終南山に隠れ住んだ四人の老隠者)のように、乱世から身を避けて余生を生きようと隠遁の志を述べるのです。


九日龍山飲     九日 龍山に飲む  李 白
九日龍山飲     九日きゅうじつ 龍山に飲めば
黄花笑逐臣     黄花こうか 逐臣ちくしんを笑う
酔看風落帽     酔いては看る 風の帽ぼうを落とすを
舞愛月留人     舞いては愛す 月の人を留とどむるを
九月九日 龍山に登って酒を飲めば
菊の花が 逐臣を笑っている
酔って眺めるのは 風が頭巾を吹き落すさま
舞って楽しいのは 月が私をひきとめること

 李白は金陵の知友に別れを告げると、いったん当塗とうと県令李陽冰のもとにもどりました。当塗は金陵(南京市)の上流六〇㌔㍍ほどのところで、舟で行けばすぐです。当塗県城の東南六㌔㍍ほどのところに龍山という山があり、九月九日の重陽節ちょうようせつに李白は龍山に登高とうこうして菊酒を飲み、明月を楽しみました。
 詩中で「逐臣」と言っているのは自分のことで、李白は一度朝廷に召され解任された臣下という意味で「逐臣」と称していました。
 もちろん逐われたのは佞臣の讒言によるものという意味が含まれていて、単なる詩人ではないという誇りが込められています。
 転句の「風の帽を落とすを」というのは東晋の孟嘉もうかの故事で、江陵の龍山で催された重陽節の野宴で、孟嘉の冠が風に飛ばされました。
 酔っていてそれに気づかなかった孟嘉は同席者から笑われますが、孟嘉は即座に応答の文章を書いて一座の者を感心させたといいます。
 李白は自分も孟嘉のような存在だけれど、舞を舞えば月はまだ自分を引きとめると同席の人に元気なところを見せたのです。

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