春日独酌 二首 其一 春日独酌 二首 其の一 李 白
東風扇淑気     東風とうふう 淑気しゅくきを扇あお
水木栄春暉     水木すいぼく 春暉しゅんきに栄さか
白日照緑草     白日 緑草りょくそうを照らし
落花散且飛     落花 散じて且つ飛ぶ
孤雲還空山     孤雲 空山くうざんに還かえ
衆鳥各已帰     衆鳥 各々おのおのすでに帰る
彼物皆有託     彼の物 皆みな託する有るに
吾生独無依     吾が生 独り依る無し
対比石上月     比の石上せきじょうの月に対し
長歌酔芳菲     長歌ちょうかして芳菲ほうひに酔わん
春の風が おだやかな気配を運ぶと
水も木も 春の陽に匂い立つ
陽の光は 草の緑に降りそそぎ
花は散って 空に舞い飛ぶ
千切れ雲は 山のほこらに還り
鳥たちは それぞれの塒ねぐらに帰る
総ての者に 寄る辺があるというのに
私の人生に 頼るものはない
だから 石上の月を仰ぎ
詩を吟じて 花の香りに酔い痴れるのだ

 昇州(金陵)についた李白は人の世話になりながら、金陵の付近で遊歴の生活をつづけます。
 李白の生活は、はじめは父親の仕送り、のちには兄弟の援助によって賄われていたと思われますが、兄はすでに亡くなっていたようです。
 弟は三峡にいると李白が獄中にいるときに作った詩で述べています。
 李白の父親は裕福な交易商人であったらしく、兄弟の家業も長江での運送業ではなかったかというのが郭沫若氏の推定ですが、その家業も戦乱の影響で不況に陥っていたとすれば、弟からの仕送りも途絶えがちになっていたでしょう。李白は詩文や書を売り物にして、崇拝者の好意にすがる生活を余儀なくされていたと思われますが、そんな不如意な生活を慰めるのは酒です。
 詩は春の日にひとり酒を飲む歌ですが、李白は「比の石上の月に対し 長歌して芳菲に酔わん」と孤独を噛みしめています。


春日独酌 二首 其二 春日独酌 二首 其の二 李 白
我有紫霞想     我 紫霞しかの想そう有り
緬懐滄洲間     緬はるかに懐う 滄洲そうしゅうの間かん
且対一壺酒     且しばらく一壺いっこの酒に対し
澹然万事閑     澹然たんぜんとして万事ばんじかんならん
横琴倚高松     琴を横たえて高松こうしょうに倚
把酒望遠山     酒を把って遠山えんざんを望めば
長空去鳥没     長空ちょうくう 去鳥きょちょう没し
落日孤雲還     落日らくじつ 孤雲こうんかえ
但悲光景晩     但だ悲しむ 光景こうけいおそ
宿昔成秋顔     宿昔しゅくせき 秋顔しゅうがんと成るを
私には 神仙を慕う気持ちがあり
遥かに 滄洲の仙境を想う
だが まずは一壺の酒を前に置き
万事を 気楽に過ごすとしよう
琴を手に 松の大木に寄りかかり
酒を飲みつつ 遠くの山を眺めると
空の彼方に 鳥は飛び去り
夕日は落ちて ちぎれ雲が帰ってゆく
ただ悲しいのは 人生の暮れゆく景色
かつての紅顔も 秋の顔になった

 李白は失意のときや生活にゆきづまると、神仙にあこがれ、東の海上にあるという滄洲の仙境に往ってみたいと思うのですが、それは夢のような話です。だから手軽に目の前にある酒に手を出します。
 思えば遠い昔、まだ十六、七歳で学問を始めたころに、故郷の載天山に道士を訪ねて会えなかったことがあります。
 そのときも松の根方で、途方に暮れて立っていたのです。
 そんな紅顔の美少年も、いまは旅に疲れ、人生に疲れて、酒を友にするだけの秋の顔になっています。

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