陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭 五首 其一 李白
 族叔刑部侍郎曄及び中書賈舎人至に陪して洞庭に遊ぶ

 洞庭西望楚江分   洞庭どうてい 西に望めば 楚江そこう分かる
 水尽南天不見雲   水尽きて 南天なんてんに雲を見ず
 日落長沙秋色遠   日は落ちて 長沙ちょうさ 秋色しゅうしょく遠し
 不知何処弔湘君   知らず (いづ)れの処にか湘君(しょうくん)を弔わん
洞庭湖を西に望めば 分流する楚江の流れ
南の空 湖水の果てに雲ひとつなし
日は落ちて 長沙のかなたまで秋色みなぎり
はて湘君は どこに弔ったらよかろうか

 洛陽を占領した史思明軍は、それ以上、西へ進む力がありませんでしたので、河南の戦線は膠着状態に陥っていました。
 李白は本来ならば、江夏から長江を下って豫章にいる妻の宗氏のもとにもどるべきところですが、秋の半ばになると逆に長江を遡り、遠く湖南の南岳衡山を訪れる計画を立てます。
 なぜこの時期に、方角違いの南岳なのか、理由ははっきりしませんが、おそらく招待する人がいたからでしょう。赦免になったので旅費は自弁になっているはずで、李白はかせぐ必要がありました。
 江夏を離れた李白は衡山に行く途中、洞庭湖の入口にある岳州(湖北省岳陽市)を通ることになりますが、そこで旧知の李曄りようと賈至かしに遇います。
 李曄は宗室の一員で尚書省刑部侍郎(正四品下)の要職にいましたが、事件に巻き込まれて四月に嶺南の一県尉に左遷され、左遷地に赴く途中、岳州まで来て滞在しているところでした。
 賈至は玄宗の使者となって粛宗のもとに行き、そのまま粛宗に従って中書舎人(従六品上)知制誥ちせいこうになっていましたが、些細な事件に連座して汝州(河南省臨汝県)に左遷され、この三月過ぎに、さらに岳州の司馬に再貶さいへんされて岳州に来ていたのです。
 連作五首は、李白が李曄と賈至の供をして洞庭湖で船遊びをしたときの詩ですが、其の一が夕方、其の二と其の三が夜半、其の四は夜半過ぎ、其の五は夜明けの詩になっており、夜通しの遊宴を詠って意図的に構成したものであることが分かります。
 其の一の詩で「日は落ちて 長沙 秋色遠し」と言っているのは、李曄も賈至も左遷の身ですので、長沙に流された漢の賈誼かぎの身の上を示唆して二人を慰めているのでしょう。



陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭 五首 其二 李 白
 族叔刑部侍郎曄及び中書賈舎人至に陪して洞庭に遊ぶ

 南湖秋水夜無煙 南湖 秋水しゅうすい 夜煙やえん無し
 耐可乗流直上天
             (なん)ぞ流れに乗じて直ちに天に上る可けんや
 且就洞庭賖月色 且しばらく洞庭に就いて 月色を賖
 将船買酒白雲辺 船を将って酒を買わん 白雲の辺ほとり
南湖の秋は 夜になっても澄んでいる
流れに乗って天に昇りたいが できないことだ
まずは洞庭湖で 月の光の助けを借り
船に乗って酒を買いに行こう あの白雲のあたりまで

 「南湖」なんこと呼ばれる湖は当時の中国のほうぼうにあったようですが、ここでは洞庭湖どうていこの南の部分を指すと思われます。
 李白は仙人となって昇天することを、思うようにならない現実を批判するときの比喩として用いることが多いのですが、それが不可能なことも知っています。
 だから、酒でも買ってきて飲み、酔いましょうというのです。
 しかし、その酒は白雲の彼方にあります。
 ということは、朝廷が遥かに遠いことを比喩しているのです。



陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭 五首 其三 李 白
 族叔刑部侍郎曄及び中書賈舎人至に陪して洞庭に遊ぶ

 洛陽才子謫湘川  洛陽の才子 湘川しょうせんに謫たくせらる
 元礼同舟月下仙  元礼げんれい 舟を同じくす月下げっかの仙
 記得長安還欲笑  長安を記し得て ()た笑わんと欲するも
 不知何処是西天  知らず 何いずれの処にか是れ西天せいてん
洛陽の才子は 湘水の地に流され
李元礼と舟に乗り 月下の仙人のようだ
長安の日々を思って 笑おうとするが
はて どちらが都 西の空だろうか

 「洛陽の才子」は漢の賈誼のことですが、賈至も同姓で、同じ洛陽の生まれ、同じように瀟湘の地に流されています。
 賈至のことをさしていると考えていいでしょう。
 「元礼」は後漢の名士で河南尹(河南府の長官)であった李膺りよう(字は元礼)のことです。李膺は友人の郭太かくたと親しかったのですが、二人が舟に乗って黄河を渡ると、神仙が同乗しているようであったという説話がありました。
 李白はその話を引用して、李曄と賈至が同じ舟に乗っていることを「月下の仙人」のようだと褒めたのです。
 転結の二句は、長安の日々を思い出して談笑しようとするのですが、笑いが凍りついて笑い顔になりません。
 李白はそれを「知らず 何れの処にか是れ西天」ととぼけながら誤魔化しているのです。「西天」が都の方角、つまり都長安のことであるのは言うまでもありません。



陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭 五首 其四 李 白
 族叔刑部侍郎曄及び中書賈舎人至に陪して洞庭に遊ぶ


 洞庭湖西秋月輝   洞庭の湖西こせい 秋月しゅうげつ輝き
 瀟湘江北早鴻飛   瀟湘しょうしょうの江北 早鴻そうこう飛ぶ
 酔客満船歌白紵   酔客船に満ちて 白紵はくちょを歌う
 不知霜露入秋衣   知らず 霜露そうろの秋衣しゅういに入るを
洞庭湖の西に 秋の月が輝き
瀟湘の北には はやくも雁が飛んでいる
酔客は船に満ちて 白紵の辞うたを歌う
露霜が 衣に浸みるのも気づかずに

 「瀟湘」しょうしょうは瀟水と湘水のことですが、瀟水は湘水の上流で湘水に合流する支流ですので、この二水が合わさって流れる湖南の地を瀟湘の地といいます。
 その川の北を季節に早い鴻(大きい雁)が飛んでいます。
 湖上には、ほかにも月見の船が出ていて、酔客が「白紵」はくちょを歌っているのが聞こえます。
 「白紵」は楽府の「白紵辞」という舞い歌で、本来は呉の歌です。
 夜も更けて霜や夜露が衣服を濡らしますが、人々はそれも気にしないで酔い、かつ歌っていると、李白は宴遊の舟遊びのうちに、そこはかとない哀愁をただよわせます。



陪族叔刑部侍郎曄及中書賈舎人至遊洞庭 五首 其五 李 白
 族叔刑部侍郎曄及び中書賈舎人至に陪して洞庭に遊ぶ

 帝子瀟湘去不還  帝子ていし 瀟湘 去りて還かえらず
 空余秋草洞庭間  空しく秋草しゅうそうを余す 洞庭の間かん
 淡掃明湖開玉鏡  淡く明湖めいこを掃はらって 玉鏡を開けば
 丹青画出是君山  丹青たんせいもて画き出すは 是れ君山くんざん
堯帝の娘は 瀟湘に身を投げて帰らず
洞庭湖のほとりには 秋草だけが生えている
明るい湖面をひと拭きして 玉の鏡を開くと
絵具で描いたように現れる それが君山だ

 「帝子」というのは堯帝ぎょうていの娘の娥皇がこうと女英じょえいのことで、夫帝舜の死を知って悲しみ、湘水に身を投じて死にます。
 李白は「空しく秋草を余す 洞庭の間」と人生の空しさを詠います。転結の二句は洞庭湖に朝の光が射し込む瞬間の描写です。
 「君山」は当時は湖岸に近い湖中にあった島で、「君山」の名は湘君(娥皇)の君にちなむと言われています。朝日がさすと、君山が鏡のような湖面に描いたように浮かびあがってくる。五首連作の最後を美しい夜明けの風景でまとめた李白の技はみごとです。
 この七言絶句の連作は李白晩年の名作とされていますが、同船者二人の境遇や故事を理解していないと、詩の隠された意味がわからず、詩のよさを味わいつくすことはできません。

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