尋隠者不遇      隠者を尋ねしも遇わず  賈 島
松下問童子     松下にて童子に問えば
言師採薬去     言う 師は薬を採らんとして去れり
只在此山中     只だ此の山中に在らんも
雲深不知処     雲深くして(ところ)を知らずと
松の木の下で 童子に問えば
先生は薬草(くすり)採りに行かれました
山中にいらっしゃるのは確かですが
雲が深くてみえません

 賈島(かとう)は代宗の大暦十四年(七七九)に生まれ、幾度も貢挙に失敗して僧侶になりました。のちに韓愈に詩才を認められて還俗し進士に合格しましたが、微行中の皇太子に無礼があったとして遂州長江県(四川省蓬渓の西)の主簿に流されます。
 のちに普州(四川省安岳)の司倉参軍に移されましたが、武宗の会昌三年(八四三)に六十五歳で貧窮のうちに没しました。
 死んだときは一銭のたくわえもなく、病んだ驢馬と古い琴が残されていたといいます。詩は童子との問答体ですが、「童子」は隠者の召し使う少年でしょう。


  勧 酒         酒を勧む  于武陵
勧君金屈巵     君に勧む 金屈巵(きんくっし)
満酌不須辞     満酌 辞するを(もち)いず
花発多風雨     花(ひら)けば 風雨多く
人生足別離     人生まれては 別離(おお)
どうだ この金杯(さかずき)になみなみと
()ぐが遠慮はいらないよ
花に風雨(あらし)があるように
人に別離(わかれ)はつきものだ

 于武陵(うぶりょう)は生没年不詳。名は(ぎょう)で、武陵は(あざな)です。
 宣宗の大中年間(八七四〜八五九)に進士に及第しましたが、官途に恵まれず各地を放浪しました。
 とくに湖南の風物を愛して湘江一帯を歩きましたが、晩年は嵩山(河南省洛陽の東南)の南麓に隠棲して生涯を終えました。
 于武陵の名は「勧酒」一首によって伝わったと言ってよく、日本でも井伏鱒二のカナ訳漢詩(『厄除け詩集』昭和十二年五月)は人口に膾炙しています。「金屈巵」は黄金製の大杯で酒宴の豪勢なさまと作者の心意気を示す。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ    井伏鱒二 訳

目次へ