上三峡 三峡を上る 李 白
巫山夾青天 巫山ふざんは青天を夾はさみ
巴水流若茲 巴水はすいは流るること茲かくの若ごとし
巴水忽可尽 巴水は忽ち尽くす可べきも
青天無到時 青天は到る時無し
三朝上黄牛 三朝さんちょう 黄牛こうぎゅうを上り
三暮行太遅 三暮さんぼ 行くこと太はなはだ遅し
三朝又三暮 三朝 又 三暮
不覚鬢成糸 覚おぼえず 鬢びん 糸いとと成る
巫山は 青天をはさんでそば立ち
巴水は 巴の字のようにうねって流れる
巴水は すぐに上りつくせるが
青天に たどりつける時はない
三日つづけて 黄牛峡を上り
三夜をかけるが 舟足は遅い
三回の朝 三度の夜
知らないうちに 鬢はやつれて細くなる
李白は尋陽を春に出た年の冬を江陵の街で過ごし、翌乾元二年(七五九)の春になってから三峡に向かって舟を出します。
巫峡のあたりの長江を「巴水」ともいうようですが、李白は「巴水は忽ち尽くす可きも 青天は到る時無し」と自分が青天白日の身になれないことを、巴水に託して述べています。
「三」を四回も使って時の経過を詠っていますが、李白はほかにも「三」を効果的に使った詩があり、「三」が好きだったようです。
昨夜は 巫山の麓にやどり
夢うつつに猿の啼き声を聞いた
桃の花は 清らかな流れに散り
三月 瞿塘峡を下る
雨もよいの空に風が吹き
南に吹いて 楚王の袖を払うのか
高丘を眺めて 宋玉を思い
古跡を訪ねて 涙はしきりに裳裾を濡らす
李白は三峡を遡り、三月に巫山(四川省巫山県)までやってきました。県城の東にある巫山に登って暗くなってから舟にもどってきましたが、半ば諦めていた恩赦の沙汰が届いたのは、そのあとであったようです。乾元二年の二月、関中ではひでりがつづき、それを和らげるために大幅な恩赦が行われました。
それが三月になって巫山の李白のもとに届いたのです。
詩中に「三月 瞿塘を下る」とあるように、李白はすぐに瞿塘峡を下って引きかえしはじめたようです。しかし、三峡を下りながら楚の懐王の神女伝説や楚辞の詩人宋玉に思いを馳せ、古跡を訪ねたりしていますので、帰りを急いでいるようすはありません。恩赦になったので、見物をする余裕ができたようにすら思われます。