与史郎中欽聴黄鶴楼上吹笛 李 白
               史郎中欽と黄鶴楼上に笛を吹くを聴く


 一為遷客去長沙
   一たび遷客せんかくと為りて長沙に去る
 西望長安不見家   西のかた長安を望めども家を見ず
 黄鶴楼中吹玉笛   黄鶴楼中 玉笛ぎょくてきを吹けば
 江城五月落梅花   江城こうじょう 五月 梅花ばいか落つ
ひとたび配流の身となって長沙へ旅立つ
西に長安を望むが わが家は見えない
黄鶴楼上に鳴る笛は 梅花落の曲
五月というのに 江城に梅花が散るようだ

 李白は江夏(武漢市武昌区)、つまり鄂州城がくしゅうじょうには五月になってから着いたようです。西塞駅から江夏までの長江は大きく蛇行していますので、実質百㌔㍍ほどでしょう。
 鄂州は李白曾遊の地ですので知友も多く、名所の黄鶴楼こうかくろうで郎中ろうちゅうの史欽しきんと遊んだ詩などが残されています。
 詩の起句に「遷客と為りて長沙に去る」とありますが、長沙ちょうさは漢の賈誼かぎが左遷された地で、自分の夜郎流謫を賈誼の長沙左遷になぞらえて言っているものです。


 汎沔州城南郎官湖 沔州の城南 郎官湖に汎ぶ 李 白
張公多逸興     張公ちょうこうは逸興いつきょう多し
共汎沔城隅     共に汎うかぶ 沔城べんじょうの隅ぐう
当時秋月好     当時 秋月しゅうげつ好く
不滅武昌都     武昌ぶしょうの都に滅げんぜず
四坐酔清光     四坐しざ 清光せいこうに酔い
為歓古来無     歓かんを為す 古来無し
郎官愛此水     郎官ろうかん 此の水を愛し
因号郎官湖     因って郎官湖ろうかんこと号す
風流若未滅     風流 若し未だ滅せざれば
名与此山倶     名は此の山と倶ともにあらん
張公は 風流を解する人
共に沔州城隅の池に舟を浮かべる
その夜は 秋の月がことに好ましく
武昌が都であった昔の月に劣らぬほどだ
一同は 清らかな月の光に酔い
観月の楽しみは かってないほどである
尚書郎が この池を愛されるので
張公にちなんで 郎官湖と名づけた
今後とも 風趣が衰えないならば
名は 峴山けんざんとともに残るであろう

 鄂州の対岸には沔州(武漢市漢陽区)があって、李白はここにも遊びに出かけています。
 今回の詩には長文の序がついており、序によると秋八月の作品です。
 李白は五月から八月まで江夏の周辺にいたことになります。
 尚書郎郎中の張謂ちょういが公用で夏口(武漢市漢口区)にやってきました。沔州の杜刺史と漢陽の王県令が張謂を歓迎して、一夕、沔州城内にあった南湖に舟を浮かべて月見の宴を催しました。
 この宴に李白も招待され、同船して遊んだのです。
 舟には地元の知識人で文士の輔翼ほよくと岑静しんせいも同船しており、流罪の地に赴く途中の李白が参加するような夜宴とは思えない盛会です。李白は流罪人ですから、当然、護送する役目の役人が同行していたと思われますが、そんな者はいないような自由な旅であったようです。詩は普通の宴会用のもので、張謂が南湖の美しさを褒めたので、では名前を郎官湖と改めましょうと宴に興を添えるものに過ぎません。

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