流夜郎 永華寺寄尋陽群官 李 白
         夜郎に流され 永華寺にて尋陽の群官に寄す
朝別凌烟楼    朝あしたに凌烟楼りょうえんろうに別れ
賢豪満行舟    賢豪けんごう 行舟こうしゅうに満つ
暝投永華寺    暝くれに永華寺えいかじに投じ
賓散余独酔    賓ひんは散じて余独り酔う
願結九江流    願わくは九江きゅうこうの流れを結び
添成万行涙    添えて 万行ばんこうの涙と成
写意寄廬岳    意を写して廬岳ろがくに寄せん
何当来此地    何いつか当まさに此の地に来たるべきと
天命有所懸    天命は懸かかる所に有り
安得苦愁思    安いずくんぞ苦しんで愁思しゅうしせん
朝に凌烟楼で別れ 出で立つときは
見送りの諸賢が 舟に満ちていた
日暮れに 永華寺に宿をとると
人々は去って ひとりで酒を飲んでいる
できたら 九江の流れを掬い取って
万行の詩句に添える涙とし
こころを写して廬山の霊に捧げよう
いつまた 帰って来れるであろうかと
しかし 天命には定めがあり
いまさら くよくよしても仕方がない

 尋陽の凌烟楼での宴後、人々は舟をつらねて李白を永華寺まで見送りました。
 永華寺の所在は不明ですが、舟で一日行程のところでしょう。
 尋陽から上流へ出てゆく人を、そこまで見送るのが当時の習慣であったと思われます。人々が別れを告げて去ってゆくと、急に周辺が淋しくなり、李白はひとりで酒を飲みながら、見送りの人々への謝礼の詩を書きます。「安んぞ苦しんで愁思せん」と結んでいますが、関心はいつまたここにもどってこれるかということでした。


 南流夜郎寄内   南のかた夜郎に流されて内に寄す 李 白

 夜郎天外怨離居
   夜郎の天外 離居りきょを怨み
 明月楼中音信疎   明月の楼中 音信おんしんなり
 北雁春帰看欲尽   北雁 春に帰って看々みすみす尽きんと欲す
 南来不得豫章書   南来に得ず 豫章よしょうの書
夜郎は天の彼方 離れ住むのが怨めしい
明月の高楼から 便りは久しくとだえている
北へ帰る雁も やがて見られなくなるというのに
南へ向かう日々 豫章からの書は届かない

 尋陽を発って夜郎へ向かう李白の足取りは、作られた詩の時期や場所をたどっていくと、極めてゆっくりしたものであったことがわかります。西塞駅せいさいえきは鄂城(湖北省鄂城市)の東四〇`bほどのところにあり、尋陽からだと一一〇`bほどのところです。
 この宿駅には晩春のころ滞在しており、尋陽を出てから二か月以上をかけて移動していることになります。
 詩は李白が豫章の「内」(妻)に送ったもので、詩の内容から晩春のころの作と推定され、西塞駅から送ったものと思われます。
 詩中の「明月の楼中」は夫と離れて暮らす女性の居所をいうときの慣用句ですので、妻からの音信が疎であることを歎いていることになります。

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