昔 長安の都にいたころは 花や柳と酔いしれて
高貴な人々と対等に 酒を酌み交わす
気位の高さでは 豪快な人々を遥かに凌ぎ
風流を解する事では 他にひけは取らない
あなたは紅顔の若者 私もまだ若く
色街に馬を走らせ 黄金の鞭を鳴らした
文章を作っては 麒麟殿に献上し
豪華な宴席に列して 歌舞に飽きない
李白は尋陽の獄につながれ、いまは流刑に処せられる身ですが、多くの地元の官人に慕われていました。出発に際しては長江に臨む凌烟楼りょうえんろうで盛大な送別の宴が催されました。
詩を贈られた辛判官しんはんがんは見送った役人のひとりです。
「判官」は節度使などの使職の幕僚をいう一般的な呼称ですが、辛判官は李白の長安時代の遊び仲間であったらしく、特別に詩を贈られたようです。はじめの八句では長安で大いに遊び、かつ仕事もしたことを懐かしんでいます。
「章台」しょうだいは本来、宮殿の名前ですが、宮殿の近くに色街があったので、色街を雅して章台と呼ぶようになったものと言われています。
いつまでも 楽しい日がつづくと思っていたのに
ある日突然 草は揺れ風塵が巻き起こる
潼関の固い守りは 胡馬の襲来に驚き
宮廷の桃梨の花も 胡人のために花ひらく
流されて 遠く夜郎にゆく身を私は悲しむ
いつになったら恩赦となり 放免されて帰るのだろうか
後半では、長安での華やかな生活がいつまでもつづくと思っていたのに、予想もしなかった安禄山の乱が起き、自分は夜郎に流謫される身になったと、李白はそのことを悲しみます。
そして、期待するのは恩赦になって放免されることです。
「金鶏」きんけいというのは恩赦を告げる使者が持っていた杖の頭飾りのことで、金色の鶏が赤い幟を口にくわえていたといいます。
そのことから金鶏といえば恩赦の使者を意味するようになったのです。なお、「秦宮の桃梨 胡に向かって開く」というのは唐の宮廷の宮女たちが胡兵のために自由にされていることを指していると解されています。