竄夜郎於烏江留別宗十六璟 李 白
        夜郎に竄たれ 烏江に於いて宗十六璟に留別す
君家全盛日    君が家の全盛の日
台鼎何陸離    台鼎だいてい 何ぞ陸離りくりたる
斬鼇翼媧皇    鼇ごうを斬って媧皇かこうを翼たす
錬石補天維    石を錬って天維てんいを補おぎな
一廻日月顧    一たび日月の顧を廻めぐらし
三入鳳凰池    三たび鳳凰ほうおうの池に入る
失勢青門傍    勢せいを失い 青門せいもんの傍かたわ
種瓜復幾時    瓜うりを種うる 復た幾時いくとき
猶会旧賓客    猶お旧賓客きゅうひんきゃくに会かい
三千光路岐    三千 路岐ろきに光る
君の家の全盛のときは
三公の位にある者が 何と輝いていたことか
女皇媧は 鼇の足を斬って天を支え
五色の石を練って 蒼天を補った
ひとたび 朝廷の恩顧を受け
みたび宰相となって 鳳凰の池に入る
勢いを失い 青門のかたわらで
瓜を植えたのは どのくらいであったろう
そんなときでも 昔の賓客が出入りし
屋敷への路は 多くの車で賑わっていた

 李白は夜郎流謫の通知が来ても、すぐには出発しようとしませんでした。どこからか救いの手が伸びてきて、減刑の沙汰があるかも知れないと期待していたようです。
 翌至徳三載は二月に改元があって、それまでの載も年と呼ぶように改められ、乾元元年(七五八)となります。
 春になって李白はようやく夜郎への旅に出ることになり、豫章から妻の宗氏と義弟の宗璟そうけいが見送りに来ました。
 詩題に「宗十六璟」とあるのは排行が十六であることを示しています。李白は烏江から船出しました。「烏江」うこうというのは長江の尋陽付近をいうもので、尋陽江とも言ったようです。
 留別の詩は、宗氏の家の誉れから説き起こします。
 「媧皇」というのは神話上の女帝ですが、ここでは則天武后のことをさしています。武后の時代に宗楚客はみたび宰相の位につきましたが、そのご失脚して勢いを失いました。そんなときでも、訪客は途絶えなかったと宗氏の隆盛を褒め上げています。

皇恩雪憤懣    皇恩こうおん 憤懣ふんまんを雪すす
松柏含栄滋    松柏しょうはく 栄滋えいじを含む
我非東牀人    我は東牀とうしょうの人に非あら
令姉忝斉眉    令姉れいし 斉眉せいびを忝かたじけなうす
浪迹未出世    浪迹ろうせきして未だ世に出でず
空名動京師    空名くうめい 京師けいしを動かす
適遭雲羅解    適々たまたま雲羅うんらの解くるに遭
翻謫夜郎悲    翻かえって夜郎に謫たくせられて悲しむ
皇恩によって 不平不満は取り除かれ
松柏が茂るように 家は栄える
私は東牀の王羲之に及ばぬ者だが
姉君の婿となり 鄭重な扱いを受ける
しかし 放浪していまだ世に出ず
虚名が 帝都を動かしただけである
たまたま 囚われの網が解けたかと思えば
一転して 夜郎に流されるのを悲しむ

 やがて宗家は再び栄えるようになり、自分は王羲之おうぎしにも及ばぬ非才の者だが、あなたの姉上の婿となって鄭重な扱いを受けた。
 しかし、世に出ることができなかったばかりか、捕らわれの身となり、夜郎流謫の罪に服することになってしまった。そのことを李白は「悲」と言っており、悲しむのであって謝ったりはしていません。

拙妻莫邪剣    拙妻せつさいは莫邪ばくやの剣
及此二龍随    此ここに及んで二龍にりゅう随う
慙君湍波苦    君に慙ず 湍波たんぱの苦
千里遠従之    千里 遠く之これに従う
白帝暁猿断    白帝はくてい 暁猿ぎょうえん断え
黄牛過客遅    黄牛こうぎゅう 過客かきゃく遅し
遥瞻明月峡    遥かに瞻る 明月峡めいげつきょう
西去益相思    西に去って益々ますます相思あいおも
わが妻は 莫邪のような名剣であるが
いまはここに 二龍を携えるのみ
まことに恥ずかしいことだが 流離の苦しみ
千里の彼方の配所へ赴くだけである
白帝山では 暁の猿の声も絶え
黄牛峡のあたりでは 旅人も行き悩む
遥かに明月峡を眺めながら
西へ往けば往くほど 思う心はつのるであろう

 李白は妻の宗氏を「莫邪の剣」といって、良妻であることを褒めいています。つぎの「二龍」は龍泉・太阿という二剣のことですが、「二龍」にどんな比喩を含ませているのかよくわかりません。
 恐らく宗氏の姉と弟が李白の釈放のために努力したことによって、自分は死一等を減ぜられて夜郎に流されるだけで済んだことを感謝しているのでしょう。あるいは二人が見送りに来てくれたことに感謝しているのかもしれません。李白はつぎの句で「君に慙ず 湍波の苦」と言っており、義弟の宗璟に恥じるのは、岩にはばまれ、波にもまれる旅の苦しみであって、永王の乱に参加したことではありません。
 「湍波の苦」は外から襲いかかってくる苦難であり、自己の責任であるとは感じていないことになります。最後の四句は、これからの旅の難所や淋しさを詠って、留別の詩にふさわしい結びにしたものです。

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