万憤詞 投魏郎中  万憤の詞 魏郎中に投ず 李 白
海水渤潏       海水渤潏ぼつけつとして
人罹鯨鯢       人は鯨鯢けいげいに罹かか
蓊胡沙而四塞   胡沙こさを蓊おうして四塞しそく
始滔天于燕斉   始めて燕斉えんせいに滔天とうてん
何六龍之浩蕩   何ぞ六龍りくりゅうの浩蕩こうとうたる
遷白日于秦西   白日はくじつを秦しんの西に遷うつ
九土星分       九土きゅうどの星分せいぶん
嗷嗷悽悽       嗷嗷ごうごう悽悽せいせいたり
海水は煮えたぎり
人は鯨の害を受ける
胡地の砂は巻き上がって 四方は塞がり
洪水は燕斉の地からはじまる
天子の車は 何と遠くへ飛んだことか
太陽を秦の西へと遷してしまう
中国の全土は どこもかしこも
嘆きの声に満ちている

 李白は尋陽の手前、彭沢(江西省彭沢県)まできたとき、地もとの官憲に捕らえられ、尋陽の獄につながれました。「魏郎中」というのは不明ですが、「万憤詞」三十八句は救助を求める詞です。
 はじめの八句は序の部分で、安禄山の乱によって天子は長安(「秦」と時代を移して表現しています)の西に遷座し、天下は嘆きの声に満ちていると詠います。

南冠君子        南冠なんかんの君子くんし
呼天而啼        天を呼んで啼
恋高堂而掩泣    高堂を恋うて泣なみだを掩おお
涙血地而成泥    地に涙血るいけつして泥でいを成
獄戸春而不草    獄戸ごくこは春にして草そうせず
独幽怨而沈迷    独り幽怨ゆうえんして沈迷ちんめい
兄九江兮弟三峡  兄けいは九江に 弟ていは三峡に
悲羽化之難斉    羽化うかの斉ひとしうし難きを悲しむ
穆陵関北愁愛子  穆陵ぼくりょうの関北 愛子あいしを愁え
豫章天南隔老妻  豫章よしょうの天南てんなん 老妻を隔へだ
一門骨肉散百草  一門いちもんの骨肉 百草と散さん
遇難不復相提攜  難に()うも()(あい)提攜(ていけい)せず
囚われ人の身は
天に向かって啼きさけぶ
朝廷を恋い慕って忍び泣き
血の涙を流して泥土と化す
春になっても 獄舎に草は生えず
ひとり怨んで 心は迷い沈みこむ
兄は九江の獄 弟は三峡にあり
共に羽化して 会えないのを悲しむ
穆陵関の北に 愛児を愁え
豫章の老妻は 天が隔てている
一門の肉親は 雑草のように散らばり
戦乱に遇って 助け合うこともできない

 詩中で「獄戸は春にして草せず」と言っていますので、詩は捕らえられてすぐ、三月ころの作と思われます。詩を送られた魏郎中というのは不明ですが、全篇は冤罪の主張であり、助けを求める叫びです。
 しかし、自分を「南冠の君子」と称したりして卑屈になったりはしていません。「南冠」というのは、春秋楚の楽人鐘儀しょうぎが晋の捕虜になったとき、南方の楚風の冠をかぶって楚の曲を演奏したという故事をさしています。ついで肉親の消息を述べますが、これは李白の伝記にとって重要な情報です。「兄は九江に 弟は三峡に」とあり、兄である自分は九江の獄に、弟は長江の三峡地方に住んでいたようです。
 また「穆陵関」(山東省沂水県)は魯の関門ですので、このとき息子の伯禽は東魯にいたことになります。
 武鄂に依頼した救出は果たされていなかったのです。
 さらに「老妻」、つまり妻の宗氏は豫章(江西省南昌市)にいたことがわかります。李白が永王の軍に参加したあと、妻の宗氏は廬山から豫章に移って弟宗環の家に寄寓していたようです。
 一門の肉親は雑草のように散らばって助け合うこともできないと李白は身の不遇を嘆いていますが、よく考えてみると、李白はこれまでも肉親といっしょにいたことはほとんどないのです。このときは本当にそう思ったのか、同情を引くための詩的表現なのか、どちらでしょうか。

 樹榛抜桂        榛しんを樹え桂けいを抜き
 囚鸞寵雞        鸞らんを囚しゅうし鶏けいを寵ちょう
 舜昔授禹        舜しゅんは昔 禹に授さず
 伯成耕犂        伯成はくせいは耕犂こうり
 徳自此衰        徳 此これより衰う
 吾将安栖        吾 将まさに安いずくにか栖まんとす
 好我者恤我      我を好む者は 我を恤あわれまん
 不好我者        我を好まざる者は
 何忍臨危而相擠 何ぞ危きに臨んで相擠あいおすに忍びんや
 子胥鴟夷        子胥ししょは鴟夷しい
 彭越醢醓        彭越ほうえつは醢醓かいたん
 自古豪烈       古いにしえより豪烈ごうれつ
 胡為此繄       胡なんぞ此これを為すや 繄ああ
いまの世は 雑木を植えて香木を棄て
霊鳥を捕らえて鶏を可愛がる
舜は昔 帝位を禹に授け
伯成は 諸侯を辞して農耕に従事した
天子の徳は このときから衰え
私はいったい 何処に住んだらよいのだろうか
私を好む者は 同情もしてくれようが
私を好まない者も
国家の危機に際して私を陥れることができようか
呉の伍子胥は 皮袋に入れて棄てられ
漢の彭越は 殺されて塩辛にされた
昔から英雄豪傑を
どうしてこんな目に遭わせるのだ

 この段は、政事批判です。四言の句がつづいて李白の怒りが伝わってきますが、途中に十一言の異例の長句を置いて思いを訴えています。
 はじめの四句は楚辞や古典の引用です。
 いまの世はつまらね木や鳥を重く用い、香木を抜き、霊鳥を捕らえていると、自分を「桂」や「鸞」に比しています。
 「伯成は耕犂す」は『荘子』天地篇にある説話で、舜が禹に譲位したとき、伯成は賞罰の思想が政事に導入されたことに反対して野に下り、農耕に従事したといいます。
 そして十一言もの長句を挿入して、国家の危機の折りには、たとえ自分を好まないような者であっても、自分のような有用な人材を用いないでいることができようかと、自信のほどをみせます。
 そしてさらに、春秋呉の伍子胥ごししょや楚漢戦争のときの彭越ほうえつが、国家に大功があったにもかかわらず無残な殺され方をした例を持ち出して、「豪烈」(英雄豪傑)をなんでこんな目に遭わせるのかと憤慨します。つまり李白は、自分は国のために尽くそうと思って今度の行動をしたのであって、罪に落とされるような者ではないと主張しているのです。

蒼蒼之天     蒼蒼そうそうの天
高乎視低     高くして低きを視
如其聴卑     如し其れ卑ひくきを聴かば
脱我牢狴     我を牢狴ろうへいより脱だつせよ
儻辨美玉     儻し美玉を辨べんずれば
君収白珪     君よ 白珪はくけいを収おさめよ
晴れわたる天は
高みから低きを見るという
まことに卑きを聴くのなら
私を 牢獄から出してくれ
もし君が 玉の良し悪しを見分けるというのなら
この無実の玉を 救い出されよ

 結びの六句は、この詩の本音の部分であり、自分を獄から出してくれという願いです。
 李白は自分を楚辞にある「白珪」(清い心を持った者)に比して、「儻し美玉を辨ずれば 君よ 白珪を収めよ」と高飛車に結んでいます。
 しかしそのころ、永王は尋陽の官倉を襲い、庫物兵甲を奪って南へ奔っていました。嶺南(広東省方面)へ向かって逃走する途中、江西采訪使皇甫侁こうほしんの追撃を受け、大庾嶺だいゆれいで流れ矢に当たって傷つき捕らえられました。永王は現地の伝舎で斬られ、江南は完全に粛宗の手に帰したのです。

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