奔亡道中 五首 其四 奔亡の道中 五首 其の四 李 白
函谷如玉関    函谷かんこくは玉関ぎょくかんの如し
幾時可生還    幾時いくときか生還せいかんす可き
洛川為易水    洛川らくせんは易水えきすいと為
嵩岳是燕山    嵩岳すうがくは是れ燕山えんざん
俗変羌胡語    俗は羌胡きょうこの語に変じ
人多沙塞顔    人は沙塞ささいの顔多し
申包唯慟哭    申包しんほう 唯だ慟哭どうこく
七日鬢毛斑    七日しちじつ 鬢毛びんもうまだらなり
潼関はいまや 玉門関のようになり
いつになったら 生きて都に帰れるのか
洛水は易水となり
嵩山は燕山と同じだ
風俗は変わって 夷狄いてきの語となり
人も多くは 塞外の顔をしている
申包胥は救いを求めて哭きつづけ
鬢毛は七日で半白になったという

 晋陵で敗れた永王は残兵を集めて西へ奔ります。李白は丹陽で永王を見限ったのではなく、晋陵でも永王の陣中にいました。
 李白は揚州からの招諭に応ぜず、晋陵の戦にも参加していますので、叛軍の一員とみなされることになります。永王の西への逃亡にも加わっていたと見られ、五首の五言律詩が残されています。
 其の四の詩では、長安や洛陽が安禄山の軍に占領されていることを嘆いています。「易水」も「燕山」も幽州の川と山です。
 結びの「申包」は春秋楚の申包胥しんほうしょのことで、楚都郢えいが呉に攻められたとき、申包胥は使者となって秦に行き、援軍を求めましたが秦王は応じません。申包胥は秦の王庭で七日のあいだ慟哭しつづけ、遂に秦王を動かしたといいます。李白はこの故事によって長安を援けに行く者のいないことを嘆いているのです。


 奔亡道中 五首 其五 奔亡の道中 五首 其の五 李 白
森森望湖水    森森しんしんとして湖水を望めば
青青芦葉斉    青青せいせいとして芦葉ろようひと
帰心落何処    帰心きしんいずれの処にか落つ
日没大江西    日は没す 大江たいこうの西
歇馬傍春草    馬を歇とどめて春草しゅんそうに傍
欲行遠道迷    行かんと欲して遠道えんどうに迷う
誰忍子規鳥    誰か忍びん 子規しきの鳥
連声向我啼    連声れんせい 我に向かって啼
果てしなく広がる湖水 眺めていると
岸辺に青々と 芦の葉が茂っている
帰郷への思いは いったい何処に落ちるのか
夕日は今日も 長江の西へ沈んでいく
春草の傍らに 馬をとどめて休息し
行こうと思うが 道は遠くてわからない
折りしも 聞くに耐えない不如帰の声
帰ったがいいと 私に向かって鳴きつづける

 李白がどこで永王の軍と離れたのかはわかりません。
 奔亡の途中で、単にはぐれてしまったのかも知れません。
 李白がひとりになったのは、二月五日前後ではないかと推定されています。其の五の詩では湖水のほとりに佇み、どこに行ったらよいか迷っています。「馬を歇めて春草に傍い」と言っていますので、李白は陸路を馬で西へ向かっていたことがわかります。
 「子規鳥」ほととぎすは「不如帰去」(プールークイチュ)と鳴くことから「不如帰」とも書かれ、李白は故郷の蜀に帰ることも考えたようです。
 しかし、「行かんと欲して遠道に迷う」と去就を決めかねています。

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