横江詞 六首 其一  横江詞 六首 其の一  李 白

 人道横江好      人は道う 横江おうこうしと
 儂道横江悪      儂われは道わん 横江悪し
 一風三日吹倒山  一風三日いっぷうみっか 山を吹き倒し
 白浪高于瓦官閣  白浪はくろうは瓦官閣がかんかくよりも高し
横江はいいところだと 人は言うが
おれは言う 横江はいやなところだ
風は三日もやまず 山を吹き倒すほど
逆巻く浪は 瓦官閣より高く舞い上がる

 尋陽に行った李白は冬になると宣城にもどり、ほどなく金陵に出てゆきました。古都の街で例年のように過ごしていたとき、安禄山の叛乱を知ります。天宝十四載(七五五)十一月九日早暁の幽州(北京)での挙兵は、すぐに江南に伝わったらしく、李白は門人の武諤に頼んで東魯に預けたままになっている息子の伯禽を迎えに行ってもらい、自分は宋州の宋城にいる妻の宗氏を迎えに行くことにしました。
 和州(安徽省和県の)横江で舟をととのえ、東へ向かおうとしますが、いざ出港しようとしたときに風雨に遭い、舟を出すことができません。「瓦官閣」は横江の渡津にあった寺の楼閣で、高さは三百丈(約七五b)もあったといいますから、水面からの高さでしょう。
 浪はその瓦官閣よりも高く逆巻いたというのですから、李白流の誇張があったとしても大嵐です。


 横江詞 六首 其二   横江詞 六首 其の二  李 白

 海潮南去過尋陽
   海潮かいちょう 南に去きて尋陽を過ぎ
 牛渚由来険馬当   牛渚ぎゅうしょ 由来 馬当ばとうより険なり
 横江欲渡風波悪   横江 渡らんと欲して風波悪しく
 一水牽愁万里長   一水 愁いを牽きて万里長し
潮流は南の尋陽へ逆流し
牛渚のあたりは もともと馬当よりも危険だ
横江を渡ろうとしても 風波が強く
この川ひと筋のために 人の愁いは果てしない

 長江の河口は、唐代には現在よりも内陸にはいりこんでいました。
 満潮になると海水面が上昇して、江水は上流へ逆流します。
 これを「海潮」というのです。江水の逆流現象は、李白のころは尋陽じんようの上流まで達していたようです。
 李白はこのあたりの長江を幾度も航行したり、渡ったりしていますので、急流の個所や海潮によって急に流れの変わる個所をよく知っていました。「牛渚」も「馬当」も山の名で、牛渚山は横江浦の対岸、馬当山は横江浦の上流にあって、その麓は流れが速くなる場所でした。
 李白は長江下流の危険個所をあげて八つ当たりしている感じです。
 結びの句で「一水 愁いを牽きて万里長し」と李白は焦っています。


 横江詞 六首 其三   横江詞 六首 其の三  李 白

 横江西望阻西秦
   横江 西に望めば西秦せいしんを阻へだ
 漢水東連揚子津   漢水 東に連なる揚子津ようししん
 白浪如山那可渡   白浪(はくろう) 山の如し (なん)ぞ渡る可けんや
 狂風愁殺峭帆人   狂風 愁殺しゅうさつす 峭帆しょうはんの人
横江から西を望むと 都は遥かに遠く
長江は東のかた 揚子津につらなる
浪は山のように高く どうして渡ることができようか
小舟にたよる旅人は 吹きつのる風に打ちのめされる

 其の三の詩では横江浦から西の長安(西秦)と東の揚州(揚子津は揚州の外港)を眺めます。この二大都市は李白が親しんだ街ですが、いまは西も東も危険に満ちていて、行くのは困難です。
 「峭帆人」(危険な厳しい舟旅をしている人)李白は、吹き荒れる狂風、山のような白浪に打ちのめされます。


 横江詞 六首 其四   横江詞 六首 其の四  李 白

 海神来過悪風廻   海神 来たり過ぎりて悪風廻めぐ
 浪打天門石壁開   浪は天門を打ちて 石壁せきへき開く
 浙江八月何如此   浙江せつこう八月 何ぞ此これに如かん
 涛似連山噴雪来   (なみ)は連山の雪を噴きて来たるに似たり
海神は怒り狂って 強風は吹き荒れ
浪は天門山に打ち寄せ 石壁をひらく
浙江八月の大海嘯も これほどではない
波涛は連山の雪が 吹雪くのに似ている

 風雨の描写がつづきます。
 「浙江八月」は現在でも杭州湾で起こる海潮現象として有名です。
 仲秋八月十五日(陰暦)に起こるものが、もっとも大規模なものなので「大海嘯」だいかいしょうと言います。
 李白はこの風雨は大海嘯よりもひどいと嘆くのです。


 横江詞 六首 其五   横江詞 六首 其の五  李 白

 横江館前津吏迎  横江の館前かんぜん 津吏しんり迎え
 向余東指海雲生  ()に向かいて東のかた海雲の生ずるを()
 郎今欲渡縁何事  郎 今 渡らんと欲するは何事にか縁
 如此風波不可行  此くの如き風波 行く可からず
横江の館やかたの前に 津みなとの役人が迎え
東のかた 海に沸き立つ雲を指さして言う
君がいま渡ろうと急ぐのは なにゆえか
このような風波のときに 行くべきではないと

 渡津としんの役人が役所から出てきて、東の雲を指さして注意します。こんな風波のときに船出するべきではない。このとき津吏は李白のことを「郎」と呼んでいることに注意してください。


 横江詞 六首 其六   横江詞 六首 其の六  李 白

 月暈天風霧不開
   月暈くもり 天風かぜふき 霧きり開かず
 海鯨東蹙百川回   海鯨かいげい 東に蹙ちぢまり 百川回めぐ
 驚波一起三山動   驚波(きょうは) 一たび起これば三山(さんざん)動かん
 公無渡河帰去来   公こう 河を渡る無かれ 帰去来かえりなんいざ
月が暈かさを被れば大風が吹き 霧は立ちこめる
東の海から 鯨が川をことごとく狂いまわり
ひとたび大波が起これば 三山が地鳴りを起こす
公よ 河を渡るのは止め すぐに帰ったほうがよい

 当時、海の鯨(大怪魚ということでしょう)が暴れると、大波が起こって山も揺らぐという迷信があったようです。ところで、この詩の結びの句は「公 河を渡る無かれ 帰去来」となっています。
 この「公」は其の五の詩の「郎」に対して高位の者を指しており、李白は節度使の安禄山に呼びかけているものと思います。
 「河」は一字で黄河をあらわしますので、「安禄山よ、黄河をわたるな。北の幽州にもどった方がよい」と、陶淵明の「帰去来」の詩句を借りて呼びかけているのです。

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