秋浦寄内      秋浦にて内に寄す 李 白
我今尋陽去    我 今 尋陽じんように去る
辞家千里余    家を辞すること千里余
結荷見水宿    荷はすを結び 水を見て宿り
却寄大雷書    却って寄す 大雷たいらいの書
雖不同辛苦    辛苦しんくを同じうせずと雖も
愴離各自居    離を愴いたんで各々おのおの自ら居る
我自入秋浦    我 秋浦に入りて自
三年北信疎    三年 北信ほくしんなり
私はいま 尋陽に行こうとしており
家を出てから 千里を越える道のりだ
蓮の葉の屋根 水辺での舟泊まり
鮑照のように 旅先から書信たよりを送る
そなたとは 苦労を共にしていないが
別れを悲しみつつ それぞれに生きている
秋浦に来てから 三年になるが
北からの便りは ほとんどない

 秋も終わりに近づくと、李白は池州から尋陽(江西省九江市)に行きました。宋州(河南省商丘市に)置いたままにしている妻の宗氏に、秋浦から書信を出しているのでわかります。
 李白は天宝十載(七五一)に宋州に立ち寄って以来、四年もの間、妻のもとにもどっていません。
 詩中の「大雷書」というのは南朝宋の詩人鮑照ほうしょうが舟旅の途中、大雷池(安徽省舒城県付近の池)のほとりから妹に書信を送った故事にもとづいており、旅先からの便りを詩的に表現したものです。
 天宝十四載(七五五)は宣城に居を定めてから三年目になりますので、その間、宋州の妻とのあいだに書信のやりとりも稀であったようです。

紅顔愁落尽    紅顔 愁うれえて落ち尽し
白髪不能除    白髪 除く能あたわず
有客自梁苑    客有り 梁苑りょうえんりす
手携五色魚    手に五色ごしきの魚うおを携う
開魚得錦字    魚を開いて錦字きんじを得たり
帰問我何如    問いを帰おくる 我 何如いかん
江山雖道阻    江山 道阻へだつと雖も
意合不為殊    意は合して殊ことなるを為さず
悲しみのために そなたの美しい顔も衰え
白髪も抜きつくせないほど増えたであろう
梁園から客があり
手土産に五色の魚 便りを届けてくれた
封を切ると 錦織の文字が現われて
いかがですかと 労わりの問いがある
山や川に 道はへだてられているが
憶いはひとつ 違いがあろうはずはない

 後半のはじめの二句は、妻の苦労を想像して労わっているもので、自分のことではありません。あからさまに言ってはいませんが、こんな夫で苦労をかけると謝っているのです。「五色魚」(鯉)は書信たよりというべきところを雅したもので、実際に鯉が届いたのではありません。
 鯉は便りを運ぶ魚とされており、書信の封を切ることを「開魚」(魚を開く)というのです。
 鯉の腹中から「錦字」(錦で織りだした文字)が出てきたというのも妻からの便りを詩的に表現しているものです。
 李白が相当に気を使っていることがわかります。妻の便りには「我 何如」、つまり「いかがですか」と李白への労わりの言葉が書かれていました。李白も同居はしていないが心はひとつと、愛情を誓っています。
 しかし、詩作のための旅とはいえ、正常な結婚生活でないことは李白も充分に意識していたはずです。

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