秋浦歌 十七首 其一 秋浦の歌 十七首 其の一 李 白
秋浦長似秋    秋浦しゅうほとこしえに秋に似たり
蕭条使人愁    蕭条しょうじょう 人をして愁えしむ
客愁不可度    客愁かくしゅうすくう可からず
行上東大楼    行きて東ひがしの大楼に上る
正西望長安    正西せいせいして長安を望む
下見江水流    下に江水こうすいの流るるを見る
寄言向江水    言げんを寄せて江水に向かい
汝意憶儂不    汝の意われを憶おもうや不いな
遥伝一掬泪    遥かに一掬いっきくの泪なみだを伝え
為我達揚州    我が為に揚州ようしゅうに達せよ
秋浦は永遠の秋に似て
もの悲しく 人の心を閉じこめる
旅の愁いは どうすることもできず
東のかた 大楼山に登ってみる
西の正面 都長安に向き合い
眼下に 長江の流れを望む
流れに向かって 私は問いかける
汝はこのおれを 忘れずにいてくれるのか
ならば溢れるこの涙 私のために
遥かな揚州に届けてくれ

 李白はこの年も夏になると、知友との交流にでかけ、宣州の江岸、渡津の当塗の街で過ごしています。秋になると、前年冬に訪れた秋浦を再訪し、十七首の組詩をまとめています。秋浦の風物については詩中に語りつくされていますので、その都度説明することになりますが、「秋浦の歌」は秋浦の景を詠うだけではなく、李白がこれまでの自分の人生について深く顧みていることに注目する必要があります。
 其の一の詩の「正西して長安を望む」の「正西」は解釈が難しい表現ですが、秋浦のある皖南かんなん地方から長安は西北西の方向にあり、真西ではありません。この語には姿勢を正して長安に向き合うという気持ちが込められていると思います。長江は世に出ることを目指してはじめて下った大江であり、その長江に向かって問いかけるのは、李白が自分自身の初心に問いかけることでもあります。
 最後の四句は出郷の志が遂げられていないことへの限りない哀惜の情を詠うものとして、涙なしには読めない詩句であると思います。


  秋浦歌 十七首 其二 秋浦の歌 十七首 其の二 李 白
秋浦猿夜愁    秋浦 猿は夜愁うれ
黄山堪白頭    黄山 白頭はくとうに堪えたり
青渓非朧水    青渓せいけいは朧水ろうすいに非あらざるに
翻作断腸流    翻かえって断腸だんちょうの流れを作
欲去不得去    去らんと欲ほっして去るを得ず
薄遊成久遊    薄遊はくゆう 久遊きゅうゆうと成る
何年是帰日    何いずれの年か 是れ帰る日ぞ
雨泪下孤舟    泪を雨らせて孤舟こしゅうに下る
秋浦では夜ごとに猿が悲しげに鳴き
黄山は 白髪の老人にふさわしい
青渓は 朧水でもないのに
却って 断腸の響きを立てて流れてゆく
立ち去ろうと思うが 去ることもできず
短い旅のつもりが 長旅となったのだ
いつになったら 帰る日がやってくるのか
涙を流しつつ 寄る辺ない小舟にもどる

 其の二の詩にも人生への思いが込められています。
 「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえているとされていますが、すでに李白自身が「古風 其二十二」で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っています。
 「去らんと欲して去るを得ず 薄遊 久遊と成る」も秋浦への旅をさすのではなく、これまでの官職を求めての旅すべてをさすと考えなければ、「何れの年か 是れ帰る日ぞ」が活きてこないと思います。
 最後の「孤舟に下る」も単なる孤舟ではなく、頼りない現在の境遇を意味していると考えるべきでしょう。


  秋浦歌 十七首 其三 秋浦の歌 十七首 其の三 李 白
秋浦錦鄞鳥    秋浦の錦鄞鳥きんぎんちょう
人間天上稀    人間じんかん 天上に稀なり
山鶏羞淥水    山鶏さんけい 淥水ろくすいに羞じ
不敢照毛衣    敢えて毛衣もういを照らさず
秋浦の錦鄞鳥は
世にも稀な美しさ
羽根が自慢の山鳥さえも
恥じて水面に映ろうとしない

 秋浦の動物として其の二の詩に猿が出てきていますが、其の三では「錦鄞鳥」と「山鶏」が登場します。ただし、前半で錦鄞鳥の美しさを述べると同時に、後半では山鶏が恥じていることを述べており、「山鶏」は李白自身の比喩とも考えられます。


  秋浦歌 十七首 其四 秋浦の歌 十七首 其の四 李 白
両鬢入秋浦    両鬢りょうびん 秋浦に入りて
一朝颯已衰    一朝いっちょうさつとして已すでに衰う
猿声催白髪    猿声えんせい 白髪はくはつを催うなが
長短尽成糸    長短ちょうたんことごとく糸と成る
秋浦に来てから 左右の鬢は
一度にさっと衰えた
猿の哀しい啼き声で 白髪は増え
髪はことごとく 糸のように細くなる

 其の四の詩では「猿声」、この辺に棲む手長猿の哀しい啼き声が詠われますが、それは左右の鬢の毛をたちまち白髪にしてしまうほどの哀しさです。これも李白特有の誇張した比喩ですが、自分の白髪と結びつけてあるところが、単なる叙景の詩でないことを示しています。


  秋浦歌 十七首 其五 秋浦の歌 十七首 其の五 李 白
秋浦多白猿    秋浦 白猿はくえん多く
超騰若飛雪    超騰ちょうとうすること飛雪ひせつの若ごと
牽引条上児    条上じょうじょうの児を牽引けんいんし
飲弄水中月    飲みて弄もてあそぶ 水中すいちゅうの月
秋浦には 白い猿が多く
飛び散る雪のように跳ねまわる
枝の子猿を引きよせて
水を飲みつつ 水中の月とたわむれる

 其の五の詩では秋浦の猿が白猿であり、群れて跳びまわっていることが具体的に描かれます。「秋浦歌」の各詩には「秋浦」という地名が詠み込まれていて、「秋浦」は現代中国語で「ちィォウ ちュィ」と発音し、日本語で「しゅうほ」と読む場合と比べてはるかに音楽的です。
 詩中の「条上の児を牽引し」は具体的には木の枝から手をつなぎ合って水に達し、子猿に水を飲ませている姿でしょう。


  秋浦歌 十七首 其六 秋浦の歌 十七首 其の六 李 白
愁作秋浦客    愁えて秋浦の客と作
強看秋浦花    強いて秋浦の花を看
山川如剡県    山川さんせんは 剡県せんけんの如く
風日似長沙    風日ふうじつは 長沙ちょうさに似るに
愁いを抱きつつ 秋浦の客となり
無理につとめて 秋浦の花を観る
この地の山川は 剡県のように美しく
風のそよぎや日の影も 長沙のようであるというのに

 この詩には「秋浦」が二回も出てきて、しかも対句になっています。
 転結句は複雑な感情を五言絶句という短い詩形に押し込めていますので、すこし分かりにくいのですが、秋浦の山川風日が剡県や長沙のように美しく似ているのに、それを愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べています。それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでないと言っていると解するべきでしょう。


  秋浦歌 十七首 其七 秋浦の歌 十七首 其の七 李白
酔上山公馬    酔うて上る 山公さんこうの馬
寒歌寧戚牛    寒歌かんかするは 寧戚ねいせきの牛
空吟白石爛    空しく白石爛はくせきらんを吟ずれば
泪満黒貂裘    泪は満つ 黒貂こくちょうの裘かわごろも
酔えば山簡 後ろ向きに馬に乗る
ぼそぼそ歌う 寧戚の牛飼いの歌
白石爛と詠ってみても 空しい限り
涙はしとどに 黒貂くろてんの裘ころもを濡らす

 其の七の詩には「秋浦」という言葉が出てきません。
 それは其の六の詩を補完する詩だからです。
 「山公馬」というのは、これまでにも出てきた晋の山簡のことです。「寧戚牛」は春秋斉の桓公時代の説話で、斉に仕えたいと思った寧戚が斉都臨淄の城門外にたどりついて野宿をしていますと、桓公が門から出てきました。そこで寧戚は連れていた牛に飼い葉をやりながら牛の角をたたいて歌をうたいました。その歌が「白石爛」で、それを聞いた桓公は寧戚を上卿に取り立てたといいます。
 李白は空しく「白石爛」を吟ずるのですから、名君に認められることもなく「泪は満つ 黒貂の裘」とわが身の不運を悲しむのです。 


  秋浦歌 十七首 其八 秋浦の歌 十七首 其の八 李 白
秋浦千重嶺    秋浦 千重せんちょうの嶺みね
水車嶺最奇    水車 嶺みねは最も奇なり
天傾欲堕石    天傾いて石を堕おとさんと欲し
水払寄生枝    水は 寄生きせいの枝えだを払う
幾重にも連なる秋浦の峰
なかでも 水車嶺は特別だ
天は傾いて 岩が落ちてくるかと見え
水は宿り木の枝を払って流れてゆく

 其の八から其の十一までは、主として秋浦の自然の景です。
 秋浦の水辺には山が迫っていたらしく、幾重にも連なる峰が見えます。なかでも水車嶺は岩が倒れかかってくるように聳えており、その横を岩に寄生している木の枝を払うようにして水が流れていると詠います。李白は小舟で川を下っているようです。


  秋浦歌 十七首 其九 秋浦の歌 十七首 其の九 李 白
江祖一片石    江祖こうそ 一片の石
青天掃画屏    青天せいてん 画屏がへいを掃はら
題詩留万古    詩を題して万古ばんこに留とどむれば
緑字錦苔生    緑字りょくじ 錦苔きんたいを生ぜん
江祖石は 大きな一枚岩
青空に 屏風のように突っ立っている
詩を彫りつけて後世に遺すなら
やがて苔むし 文字は緑に変わるであろう

 江祖石という一枚岩が屏風のように突っ立っているところもあります。「一片石」は日本語の用例とは違って一面にひろがるという語感です。その岩に詩を書きつけて後世に残すならば、やがて苔むして文字は緑色になるであろうと李白は空想しています。
 題するのはもちろん自分の詩でしょう。


  秋浦歌 十七首 其十 秋浦の歌 十七首 其の十 李 白
千千石楠樹    千千たり 石楠せきなんの樹じゅ
万万女貞林    万万たり 女貞じょていの林りん
山山白鷺満    山山に白鷺はくろ満ち
澗澗白猿吟    澗澗かんかんに白猿はくえん吟ず
君莫向秋浦    君 秋浦に向く莫なかれ  
猿声砕客心    猿声えんせい 客心を砕かん
千本の石楠花の樹
万本の冬青の林
山には白鷺があふれ
谷では白い猿が啼いている
君よ 秋浦には来ないほうがよい
猿の啼き声が 旅心を砕くであろう

 其の十の詩は五言六句ですが、はじめの四句は石楠しゃくなげ、女貞もち、それに白鷺と白猿で、秋浦の歌といいながら水景はひとつも出てきません。周囲の山のようすだけです。結びの二句では「君 秋浦に向く莫れ」と秋浦の猿声の淋しさを強調しています。 


 秋浦歌 十七首 其十一 秋浦の歌 十七首 其の十一 李 白
邏人横鳥道    邏人らじん 鳥道ちょうどうに横たわり
江祖出魚梁    江祖こうそ 魚梁ぎょりょうに出
水急客舟疾    水急にして客舟かくしゅうはや
山花払面香    山花さんかおもてを払って香かんば
邏人石は 鳥の通路に横たわり
江祖石は 梁よりも高く突き出ている
急流に乗って 舟は飛ぶように速く
岸辺の花は 顔をかすめて匂い立つ

 邏人石と江祖石、またも岩石の景ですが、江祖石は水中に突っ立っているようです。李白は小舟に乗って急流を下っていることが、ここではじめて明らかになります。しかし、詩は秋浦の景の描写を通じて人生行路の困難を詠っているようにも受け取れます。
 梁やなよりも高く突き出ている江祖石は、危険な障碍物です。
 「山花 面を払って香し」によって舟が岸近くを進んでいることはわかりますが、これも何かの表徴かもしれません。
 つまり、瞬間いい匂いが私の顔をかすめて過ぎていったという…。


 秋浦歌 十七首 其十二 秋浦の歌 十七首 其の十二 李白
水如一匹練    水は一匹の練れんの如く
此地即平天    此の地 即ち平天へいてん
耐可乗明月    耐く 明月に乗じて
看花上酒船    花を看るには 酒船しゅせんに上る可し
水は練り絹のよう 白くつややか
この地こそまさに 平天の湖
明月の夜の花見を楽しむには
酒船に乗って飲むのが一番だ

 其の十一の詩とのつづき具合からすると、李白は急な流れを下って平天湖という湖に着いたようです。この湖は池州の西南三㌔㍍ほどのところにあり、斉山の麓にあって清渓に通じていたといいます。
 「平天」という湖の名前に泰平の世を示唆しているとすれば、この年の十一月に安史の乱が勃発することを思うと、後世のわれわれは人生の皮肉を感じます。李白はそんな大事件が起こるとは夢にも思っていませんので、明月の夜の花見を楽しむには酒船に乗って飲みながら遊覧するのが一番だと言っています。


  秋浦歌 十七首 其十三 秋浦の歌 十七首 其の十三 李白
淥水浄素月    淥水ろくすい 素月そげつきよらかに
月明白鷺飛    月明らかにして白鷺はくろ飛ぶ
郎聴採菱女    郎ろうは聴く 菱ひしを採る女
一道夜歌帰    一道いちどう 夜に歌いて帰る
澄んだ流れに 浄らかな白い月
月は照り映え 白鷺は舞う
若者は 菱採り女の歌声に聴きほれて
夜道をいっしょに 歌って帰る

 其の十三と十四の詩では庶民の労働の姿を詠っています。
 其の十三の詩は菱採りの女性たちの歌で、李白はこれまでに幾度も類似の詩を書いています。この詩では、夜になって帰ってゆく女性たちといっしょに、若者たちも詠って帰るところがほほえましい部分です。
 合唱の声が聞こえてくるようです。


 秋浦歌 十七首 其十四 秋浦の歌 十七首 其の十四 李白
炉火照天地    炉火ろか 天地を照らし
紅星乱紫烟    紅星こうせい 紫烟しえんを乱す
赧郎明月夜    赧郎たんろう 明月の夜
歌曲動寒川    歌曲かきょく 寒川かんせんを動かす
炉の焔は 天地を焦がし
煙のなかで 火花がはじける
明月の夜に 火に照らされる男たち
その歌声が 冷たい川に轟きわたる

 其の十四の詩の「炉火」は溶鉱炉の火と解されています。秋浦には唐代に銀と銅の鉱山があり、鉱石の採掘と精錬が行われていたようです。「赧郎」は溶鉱炉の火に照らされて赤くなった顔をいうと解されており、鉱夫たちの労働の姿を詠った詩は唐代では珍しいとされています。鉱夫たちは歌を歌いながら作業をしていたらしく、「歌曲 寒川を動かす」というのは、鉱夫たちの労働のようすを髣髴ほうふつとさる句であると思います。


  秋浦歌 十七首 其十五 秋浦の歌 十七首 其の十五 李白
白髪三千丈    白髪 三千丈
縁愁似箇長    愁いに縁って 箇かくの似ごとく長し
不知明鏡裏    知らず 明鏡めいきょうの裏うち
何処得秋霜    何いずれの処にか秋霜しゅうそうを得たる
白髪は伸びて 三千丈
悲しみのため このように長くなった
ふしぎだなあ 鏡にうつる秋の霜
一体どこから 降りてきたのか

 「白髪三千丈」の詩は、秋浦歌十七首中の代表作としてしばしば取り上げられる作品ですので、知っている人は多いでしょう。
 自分が老いてしまったことへの詠嘆として、「三千丈」の誇張した表現だけに注目して、なんとなく読み過ごされてしまいます。
 ところで李白は「愁いに縁って 箇の似く長し」といちど理由を上げておきながら、「何れの処にか秋霜を得たる」ともういちど白髪になった理由を自問しています。これは「愁いに縁って」と言っただけでは言い足りないものを感じたからでしょう。転句の「明鏡」は青銅の鏡を持ち歩いていたかもしれませんが、散策のときであれば持っていないでしょうから、秋浦の清らかな水に写った白髪頭の顔ということになります。


 秋浦歌 十七首 其十六 秋浦の歌 十七首 其の十六 李白
秋浦田舎翁    秋浦の田舎翁でんしゃおう
采魚水中宿    魚うおを采りて水中に宿す
妻子張白鷴    妻子は白鷴はくかんに張ちょう
結罝映深竹    結罝けつしょ 深竹しんちくに映ず
秋浦の村の翁は
魚を捕ろうと 舟の上で夜を明かす
妻と子は 雉を獲るため網を張り
仕掛け網が 竹林の緑に映えている

 其の十六の詩は村人の生活を詠う詩です。
 村の名前は「桃陂」であろうと考えられています。
 貴池県の西南一七㌔㍍ほどのところに桃陂山という小さな山があって、その麓に桃胡陂という山里があったらしい。その村の夫婦と子供が、魚や小鳥を捕まえて食糧を得ている点景です。


 秋浦歌 十七首 其十七 秋浦の歌 十七首 其の十七 李白
桃波一歩地    桃波とうはは一歩いっぽの地
了了語声聞    了了りょうりょう語声ごせい聞こゆ
闇与山僧別    闇ひそかに山僧さんそうと別れ
低頭礼白雲    頭こうべを低れて白雲に礼れい
桃陂は ほんの小さな土地
村人の話し声もはっきり聞こえる
山寺の僧と黙って別れ
白雲寺に向かって頭をさげる

 起句の「桃波」は「桃陂」の書き誤まりとされています。
 この山里のはずれに清渓玉鏡潭という淵があり、そのほとりに白雲寺という有名な寺がありました。李白が寺を訪ねたことは、この詩によって知られるのです。詩の結びの二句「闇かに山僧と別れ 頭を低れて白雲に礼す」は、老境に達した李白の姿が目に浮かぶようです。
 「秋浦の歌十七首」中の結びにふさわしい名句であると思います。

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