贈汪倫          汪倫に贈る    李 白
 李白乗舟将欲行   李白 舟に乗って将まさに行かんと欲す
 忽聞岸上踏歌声   忽ち聞く 岸上がんじょう 踏歌とうかの声
 桃花潭水深千尺   桃花潭とうかたんの水は 深さ千尺
 不及汪倫送我情   及ばず 汪倫おうりんが我を送るの情じょう
李白が舟で いざ行こうとするときに
岸辺で賑やかに 踏歌の声が湧いてきた
桃花潭の水は 深さ千尺というが
汪倫が見送る情の深さには 及びもつかぬ

 李白は池州で常県丞と別れ、ひとりで東に引きかえします。
 青陽、県(安徽省県)と巡っていきますが、県の桃花潭では汪倫という人の世話になっています。「桃花潭」は県の西南四〇`bほどのところにある川の淵の名で、かなりの田舎です。
 汪倫には官職の記載がありませんので、その地の布衣の資産家でしょう。醸造家であったという説もあります。
 「踏歌」というのは手を取り合い足を踏み鳴らして歌う賑やかな歌で、汪倫の素朴な見送りのようすを映して秀逸です。
 汪倫の子孫は李白が書き残してくれた詩を保存して、のちのちまで家の宝としていたそうです。


  宣城見杜鵑花    宣城にて杜鵑の花を見る 李 白

 蜀国曾聞子規鳥
  蜀国しょくこくにて曾かつて聞く 子規しきの鳥
 宣城還見杜鵑花  宣城せんじょうにて還またた見る 杜鵑とけんの花
 一叫一回腸一断  一叫いっきょう 一回 腸ちょう一断いちだん
 三春三月憶三巴  三春さんしゅん 三月 三巴さんぱを憶う
むかし蜀の地で 子規ほととぎすの鳴くのを聞き
いままた宣城で 杜鵑つつじの花を見る
杜鵑の声の声ごとに 故郷を思って腸はらわたはちぎれ
いまや春 春三月に三巴を想う

 天宝十四載(七五五)になり、李白は宣城で二度目の春を迎えます。二十四歳で蜀を出てから一度も郷里に帰ることのなかった李白ですが、宣城の杜鵑つつじの花をみると、故郷の春の盛りを思い出さずにはいられなかったのでしょう。
 五十五歳になった李白の気の弱りかもしれません。
 「杜鵑花」はつつじの類をいいますが、「子規鳥」ほととぎすはまたの名を「杜鵑」とけんともいい、古代の蜀王杜宇の化身とされています。杜鵑が「不如帰去」(帰り去くに如かず)と望郷の想いで鳴いた声、吐いた血が赤いつつじの花になったという伝説が、この詩の背景をいろどっています。


 山中与幽人対酌    山中に幽人と対酌す  李 白

 両人対酌山花開  両人対酌たいしゃくして山花さんか開く
 一杯一杯復一杯  一杯 一杯 復た一杯
 我酔欲眠卿且去  我れ酔うて眠らんと欲す (きみ)(しばら)く去れ
 明朝有意抱琴来  明朝みょうちょう有らば 琴を抱いて来れ
二人で酒を酌み交わすと 山には花が咲きそろう
一杯 一杯 もう一杯
酔って眠たくなってきた 君はひとまず引きあげて
明日の朝でも気が向けば 琴をかかえていらっしゃい

 春はまた酒のうまい季節です。
 李白はそのころ山中に小さな亭を持っていたらしく、山荘に気の合う客が訪ねてくると、大好きな酒盛りがはじまります。
 詩題の「幽人」は山水の美を解する人、もしくは隠者という意味でしょう。山にはすでに花が咲いているはずですので、二人が向かい合って酒を飲んでいると「山花開く」というのは、二人の顔が赤くなる、心も打ち解けてくるのを比喩的に言ったものと思います。
 転句は悪く解釈すると横柄な感じになりますが、この部分は陶淵明の伝記にある言葉をそのまま引用しているもので、それが分からないようでは「幽人」とは言えないわけです。
 このあと二人は大笑いでもしたのでしょう。

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