観胡人吹笛     胡人の笛を吹くを観る 李 白
胡人吹玉笛    胡人こじん 玉笛ぎょくてきを吹く
一半是秦声    一半は是れ秦声しんせい
十月呉山暁    十月 呉山ござんの暁あかつき
梅花落敬亭    梅花 敬亭けいていに落つ
愁聞出塞曲    愁えて出塞しゅっさいの曲を聞けば
涙満逐臣纓    涙は逐臣ちくしんの纓えいに満つ
却望長安道    却かえって長安の道を望み
空懐恋主情    空しく主しゅを恋うるの情を懐いだ
胡人が笛を吹いている
半ばは秦の曲だ
初冬の十月 呉山の夜明け
梅花落の曲を聞けば 春の敬亭山を想い出す
出塞の曲を聞けば 悲しみは胸に満ち
涙は逐臣の纓を濡らす
かくて私は 都長安へ通ずる道を眺め
むなしく天子を恋い慕うのである

 李白は揚州で、李白を慕って訪ねてきた魏万(後にと改名)という若い詩人と会います。魏万は黄河の北にある王屋山(河南省済源県の西)の出身で、李白の後を追って旅をつづけ、揚州でやっと追いついたのです。魏万の懐には相当の金があったらしく、李白はこの若者をつれて揚州の知識人と交流し、揚州からさらに金陵まで同行します。
 詩には「十月 呉山の暁」とありますので、十月ごろまで金陵(李白は金陵を呉山と呼ぶことがあります)に滞在したときの作品でしょう。
 この詩によって、李白がまだ官途への望みを絶ち切れないでいることがわかります。魏万のような若い詩人が慕ってくると、一層旅に明け暮れる無冠の詩人で終わりたくないという気持ちが湧いてくるのでしょう。「逐臣」というのは一度天子に仕えたが都を追われた臣という意味で、追われた理由は天子のまわりにいる者の讒言によるという説明がついていたはずです。梅花落と出塞の曲、李白の心は詩と官、敬亭山と長安に分裂しているのです。李白は魏万に自分の経歴などいろいろなことを語り、李白詩集の編纂を依頼して金陵でわかれます。
 それから冬のはじめには宣城にもどったようです。


 清渓行       清渓の行うた   李 白
清渓清我心   清渓せいけいは我が心を清くする
水色異諸水   水色すいしょく 諸水しょすいに異れり
借問新安江   借問しゃもんす 新安江しんあんこう
見底何如此   底そこを見る 此これと何如いかん
人行明鏡中   人は行く明鏡めいきょうの中なか
鳥度屏風裏   鳥は度わたる屏風の裏うち
向晩猩猩啼   晩くれに向かいて 猩猩せいせい
空悲遠遊子   空しく悲しむ遠遊子えんゆうし
清渓は私の心を清めてくれる
水の色は ほかの流れと違うのだ
お尋ねするが 底が見えると詠われた
新安江と比べても 見劣りはしないであろう
人は明るい鏡の中をゆくように映り
鳥は屏風の中を飛ぶように見える
日暮れになって 猩々が啼くと
遠く旅する私は わけもなく悲しくなる

 李白は宣城にもどるとほどなく、南陵の常県丞(県の次官)といっしょに池州(安徽省貴池市)方面を訪ねます。池州は南陵から西南に九〇`bほど離れた江岸の街で、郡名を秋浦とも言ったようです。
 また池州の西南に貴池という湖があり、その入り江を秋浦と言ったともいいます。李白は秋浦の風物に強い感銘を受け、「秋浦歌十七首」の連作を作っています。「秋浦の歌」は人によっては李白詩の最高傑作とされる組詩ですが、このときは冬になっていましたし、翌天宝十四載の秋にも秋浦を再訪していますので、組詩が最終的にまとまったのは天宝十四載の秋と思われます。
 ここでは、このときの作と思われる「清渓行」を掲げました。
 清渓は秋浦の北三`bほどのところにあり、長江に注ぐ清流です。
 清渓は黄山から北に流れ出る川のひとつですが、黄山から南に流れ出て東に向かう新安江という川があり、その清さを詠う詩があります。李白はその詩を引き合いに出して、底が見えると詠われた新安江の清さと比べても見劣りがしないと清渓の清さを称賛しています。

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