山中問答       山中問答     李 白


 問余何意棲碧山
  ()に問う 何の意ありてか碧山(へきざん)に棲むと
 笑而不答心自閑  笑って答えず 心自おのずから閑かんなり
 桃花流水杳然去  桃花とうか流水 杳然ようぜんとして去る
 別有天地非人間  別に天地の人間じんかんに非あらざる有り
どんな心算で 奥山に住んでいるかと問われても
笑って答えず 心はどこまでものどかである
桃の花びらは 水に浮かんで流れ去り
ここにこそ 俗世を離れた別の境地がある

 この詩には「山中答俗人」(山中にて俗人に答う)と題する伝本もありますので、李白が問答した相手は「俗人」ということになります。
 李白のような有名詩人が宣城のような田舎町に住んでいるのを不思議に思った人が、どうしてこんな辺鄙なところに住んでいるのかと尋ねたのでしょう。詩には「笑って答えず」とありますので、転結の二句は李白が心に思ったことを詩句にしたことになります。
 「人間」は人の世、俗世のことですので、李白はそれを否定して「桃花流水」に目を向けます。ここにこそ俗世を離れた別の境地があるというのです。俗人には答えませんでしたが、心ある人には詩作品として自分の心境を述べたのです。俗人には分からないだろうが、という意味も暗に含まれているでしょう。
 この詩には誰かの問いに答えたのではなく自問自答の詩であるという解釈もありますが、そうするとなお俗人には分からないだろうという意味が創作されていることになります。


 哭晁卿衡        晁卿衡を哭す   李 白
日本晁卿辞帝都   日本の晁卿ちょうけい 帝都を辞し
征帆一片繞蓬壺   征帆せいはん 一片 蓬壺ほうこを繞めぐ
明月不帰沈碧海   明月は帰らず 碧海へきかいに沈み
白雲愁色満蒼梧   白雲 愁色しゅうしょく 蒼梧そうごに満つ
日本の晁卿は 都長安に別れを告げ
帆は風をはらんで 蓬莱山をめぐって行く
明月のように輝く君は 海に沈んで帰らず
雲は悲しみの色に染まり 蒼梧の山に満ちている

 李白は人の世は「桃花流水」のようだと詠いますが、現実にはそんなに悟りきったものではありませんでした。天宝十三載(七五四)の春が深くなると、李白は金陵に出かけ、五月には揚州に行きます。
 田舎に閉じこもっていたのでは、李白の生活が成り立たないという事情があったのでしょう。揚州では前年の天宝十二載に日本の遣唐使帰国船に便乗して日本へ発った晁衡(安倍仲麻呂)の船が途中で難破して、晁衡ちょうこうは死んだという噂を耳にします。
 晁衡の友人であった李白は、その死を悼む詩を書きますが、死んだというのは誤報で、船は安南(ベトナム)の驩州ビンに漂着して、晁衡は苦労の末、後に長安にもどってきます。

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