私を捨てて去る者
それは過ぎ去った日 留めることはできない
私の心をみだす者
それは今日という日 煩わしい限りだ
万里の彼方から吹く風が 秋の雁を吹き寄せる
この淋しさに耐えるには 高楼で飲むしかあるまい
李白は宣州でも多くの送別詩や贈答詩を書いていますが、校書叔雲を送別したこの雑言古詩は力作との評価が高いものです。
校書というのは秘書省校書郎(正九品上)のことで、微官ですが中央の官としてなんらかの公用で宣州にきたのでしょう。
「叔雲」は叔父李雲と解されますが、李白の父親の弟に校書郎になった者がいたとも考えられませんので、例によって李姓の者に親しみをこめて叔父と呼びかけたのでしょう。はじめの六句は、やや荒れた感じで、客に対して失礼ではないかと感じます。
秋の北風に乗って雁が南に渡ってきますが、その淋しい風景に耐えるには高楼で飲むしかないと、自棄的な言い方をしています。
後漢の文章 建安の詩魂
六朝の謝朓も 溌溂として清々しい
共に感動が胸に満ち 勇壮な気分で立ち上がり
天空に駆け昇って 明月を手にしたいものだ
剣を抜き水を斬れば 水はさらに流れ
杯を挙げ愁いを消せば 愁いはさらに深くなる
この世に生きていても 意に添わぬことばかり
明日こそはざんばら髪で 小舟に身をまかせよう
この宴会では、飲みはじめると詩論が話題になったらしく、李白は後漢の文章と建安の詩、六朝の謝朓の詩をほめています。
詩論をたたかわせているうちに気分が盛り上がり、天に昇って月を手にしたいと言ったり、剣を抜いたり、杯を挙げたりしますが、そんなことでは李白の欝屈した気持ちはほぐれません。生きていても気に食わぬことばかりと言って、明日こそは髪も結わず冠も着けずに、つまり隠者の姿になって小舟に身をまかせようと結びます。