尋高鳳石門山中元丹丘
              高鳳石門山中の元丹丘を尋ぬ 李 白
尋幽無前期    幽ゆうを尋ねて前期ぜんき無く
乗興不覚遠    興きょうに乗じて遠きを覚おぼえず
蒼崖渺難渉    蒼崖そうがいびょうとして渉わたり難く
白日忽欲晩    白日はくじつ 忽ち晩れんと欲す
未窮三四山    未だ三四山さんしざんを窮きわめず
已歴千万転    已すでに歴たり 千万転せんまんてん
奥山に友を尋ねて 約束もせず
遠いのもかまわず 趣くままにやってきた
苔むす崖が 遥かにつづいて歩きにくく
輝く太陽は はや暮れようとする
幾山を 越えたわけでもないのに
曲がりくねって登ってきたような気がする

 李白は四十九歳のころ、四人目の女性と結婚しています。
 ただし、正妻としては二人目です。
 この妻は梁園の宗氏の女むすめで、則天武后の従姉の子孫にあたり、宗楚客そうそかくという人が三度も宰相をつとめているほどの名門の女です。
 しかし、宗楚客は唐龍の政変のときに李隆基(のちの玄宗皇帝)によって誅殺されていますので、玄宗朝では没落していました。
 李白はこの妻を宋州の妻の実家に置いたまま旅をしていますので、東魯の二子だけでなく、妻の宗氏にも不義理を重ねていたのでした。
 廬山に登ったあと麓の尋陽(江西省九江市)にしばらく滞在し、やがて李白は北へ帰ることにしました。その途中、宋州の妻にも会い、冬には東魯の子供たちとも再会しました。天宝十載(七五一)の春と夏は東魯の家にいて、娘を結婚させたと思います。娘の平陽はすでに十九歳になっていますので、当時としては早い結婚ではありません。
 秋になると、李白は多分、宋州の妻のもとに立ち寄ってから、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に友人の元丹丘を訪ねます。元丹丘は道士ですので、嵩山の山居から石門山に移っていたのでしょう。
 はじめの六句は詩の導入部で、事前の約束もせずに突然みしらぬ土地を尋ねていったので、山路に難渋するようすが描かれています。

寂寂聞猿愁    寂寂せきせきとして 猿の愁うるを聞き
行行見雲収    行行こうこう 雲の収まるを見る
高松来好月    高松こうしょう 好月こうげつ来たり
空谷宜清秋    空谷くうこく 清秋せいしゅうに宜よろ
渓深古雪在    渓たに深くして古雪こせつ在り
石断寒泉流    石断たれて寒泉かんせん流る
寂しい気持ちで 悲しげな猿の声を聞き
雲が次第に 消えてゆくのを眺める
松の木の上に 綺麗な月が昇り
人けのない谷は 清らかな秋にふさわし
谷は深くて 古い雪が残り
岩の裂け目から 泉が湧いている

 この詩は元丹丘の住む石門山中への道のようすが、道行みちゆきのように描かれていて、映画のカットを見るようです。

峰巒秀中天    峰巒ほうらん 中天ちゅうてんに秀ひい
登眺不可尽    登眺とうちょうくす可からず
丹丘遥相呼    丹丘たんきゅう 遥かに相あい呼び
顧我忽而哂    我を顧みて 忽こつとして哂わら
遂造窮谷間    遂に窮谷きゅうこくの間かんに造いた
始知静者    始めて静者せいじゃかんなるを知る
留歓達永夜    留歓りゅうかん 永夜えいやに達し
清暁方言還    清暁せいぎょうまさに言ここに還いた
峰は高く空にそびえ
登って眺めたいが登れそうにない
元丹丘が 遥か向こうから声をかけ
私を見て にっこり笑う
そのまま谷の奥にゆきついて
はじめて隠者の静かな生活を知る
その日は談笑して 永い夜を過ごし
明け方になってやっと 詩を書いている

 李白が天に突き出た峰を見上げて感慨にふけっていたときに、遠くから元丹丘の声がして、李白をみて「忽として哂う」(ふっと笑顔をみせる)、このところはとても印象的な場面です。
 その夜は元丹丘の山居で夜明けまで語り明かし、いまここで詩を書いているというのでしょう。最後の「還」は韻字にもなっていますし、詩では必ずしも「かえる」の意味ではありません。
 この場合は「いたる」という意味に使われていると解しました。

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