聞王昌齢左遷龍標遥有此寄 李 白
王昌齢の龍標へ左遷せらるるを聞き遥かに此の寄有り
柳絮りゅうじょも散りはて 子規ほととぎすが鳴いている
聞けば龍標への道すがら 五渓のあたりを過ぎたとか
明月よ わたしの悲しみを伝えてくれ
風に乗って 夜郎の先まで行ってくれ
天宝八載(七四九)の初夏のころ、李白は友人の王昌齢が龍標(湖南省黔陽県)へ左遷されたことを金陵で耳にしました。龍標は夜郎(湖南省沅陵県)の南にありますので西というのは方向の誤りでしょう。
李白は長安で知り合った友人の不運を聞くにつけ、漫然と猟官の旅をつづけている現在の自分の状況に諦めの気持ちも湧いてきたと思われます。前回の「金陵城西楼 月下の吟」の詩は、李白が「功を立てる」から「言を立てる」、つまり詩人として後世に残る作品を作ろうと作家精神に目覚めはじめた徴候とも考えられます。この時代、詩を作るということは官途に就くための手段であって、現代のように芸術としての高さそのものが価値を持っていた時代ではありませんでした。
香炉峰に陽がさすと 紫の靄もやがわいてくる
遥か彼方に一筋の瀧 まるで立て掛けた川のようだ
見上げると 流れは直下して三千尺
まるで天から 銀河が落ちてくるようだ
其の二は七言絶句ですので、「望廬山瀑布」としては、この方が広く知られています。其の一の詩と比べると、其の一の詩の前八句の要約のようでもありますが、瀧を目にしたときの感動を凝縮して表現したようにも思われます。どちらを先に作ったのか、天才詩人の創作の秘奥には計り知れないものがありますが、転句の「飛流 直下 三千尺」には、絶句にふさわしい、また李白らしい簡潔の美があると感じます。