望金陵漢江      金陵にて漢江を望む 李 白
漢江廻万里     漢江かんこう 万里を廻めぐ
派作九龍盤     派して作す九龍の盤ばん
横潰豁中国     横潰おうかいして中国豁ひろ
崔嵬飛迅湍     崔嵬さいかい 迅湍じんたん飛ぶ
六帝淪亡後     六帝りくてい 淪亡りんぼうの後
三呉不足観     三呉さんご 観るに足らず
我君混区宇     我が君 区宇くうを混こん
垂拱衆流安     垂拱すいきょうして衆流しゅうりゅう安し
今日任公子     今日の任公子じんこうし
滄浪罷釣竿     滄浪(そうろう)にて釣竿(ちょうかん)()めたり
長江は万里をめぐり
分流して九龍の盤さらとなる
決潰して全土に溢れ
早瀬となって峻岳に飛ぶ
六朝滅亡の後は
三呉の地に見るべき者なく
君公は天下をまぜ合わせ
労せずして流れは安らか
だから今日の任公子は
清い流れで釣るのをやめる

 玄宗の寵姫楊太真は天宝四載(七四五)に貴妃(正一品)になり、皇后は亡くなったあと立てられていませんでしたので、楊貴妃は文字通り宮中第一の人になりました。楊貴妃の三人の姉や一族の者は高位高官に封ぜられ、栄華をきわめています。
 詩中の「漢江」は長江のことで、六朝滅亡の後は江南地方に見るべき者はいなくなり、天子は「垂拱」(何もしないこと)していても天下は太平であると皮肉をこめて言っています。だから「今日の任公子」、つまり李白は釣るのを止めたと詠っています。
 「任公子」は『荘子』に出てくる説話上の人物で、五十匹の牛を餌にして大魚を釣りあげ、人々を満腹させたという話です。


 金陵城西楼 月下吟 金陵城西楼 月下の吟   李 白

 金陵夜寂涼風発   金陵きんりょうの夜は寂せきとして涼風発す
 独上高楼望呉越   独り高楼に上り 呉越ごえつを望む
 白雲映水揺空城   白雲はくうん 水に映じて空城くうじょうを揺り
 白露垂珠滴秋月   白露はくろしゅを垂れて秋月に滴したた
 月下沈吟久不帰   月下に沈吟ちんぎんして久しく帰らず
 古来相接眼中稀   古来 相あい接して眼中がんちゅうまれなり
 解道澄江浄如練   解道かいどうす 澄江浄きこと練れんの如きを
 令人長憶謝玄暉   人をして長く謝玄暉しゃげんきを憶わしむ
金陵城下 夜は静かに更けて涼しい風が吹く
独り高楼に登って 呉越の地を眺める
白雲は水に映って 荒城の月とたわむれ
白露は珠となって 月の光が滴るようだ
月下に詩を吟じ 久しく旅をつづけているが
昔から交際しても 心に通うことは稀である
見事な一句は 「澄江浄きこと練の如し」
だから私はいつまでも 謝玄暉を慕うのだ

 この詩は李白の金陵詩のなかでの秀作といえるでしょう。
 ただし、「金陵城西楼」というのは不明で、金陵の街の西に清涼山があり、そこに「高楼」が建っていたのかも知れないとされています。
 頷聯(三句と四句)の対句は金陵城の夜を描いて名句とされており、白雲の映る水は江水ではなく、池の水であろうとされています。
 頚聯の「久しく帰らず」は東魯を出てから旅をつづけていることを意味し、三年目の春を迎えているのです。「眼中」はいつも心に思うことで、李白は自分を理解してくれる人がいないことを嘆いています。
 最後に「澄江とうこうきよきこと練の如し」という句を引用していますが、これは南朝斉の詩人謝朓しゃちょう(字は玄暉)の詩句で、李白はこの詩句に共感すると詠っています。
 詩人として心境の変化を感じさせる言葉です。

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