上李邕         李邕に上る     李 白
 大鵬一日同風起   大鵬たいほう 一日 風と同ともに起こり
 扶揺直上九万里   扶揺ふよう 直ちに上る九万里
 仮令風歇時下来   仮令たとえ 風歇みて時に下り来るも
 猶能簸却滄溟水   猶お能く 滄溟そうめいの水を簸却はきゃく
 時人見我恒殊調   時人(じじん) 我の恒に調(しらべ)を殊にするを見
 聞余大言皆冷笑   余の大言たいげんを聞きて皆ことごとく冷笑す
 宣父猶能畏后生   宣父せんぷも猶お能く后生こうせいを畏おそ
 丈夫未可軽年少   丈夫じょうふ 未だ年少を軽んず可からず
大鵬はある日 風と共に飛び立ち
旋風のように上昇して 九万里を飛ぶ
例え風がやみ ときに舞い降りたとしても
なおよく 大海の水を揺することができる
世の人は 私が並はずれているのを見て
大きな志を述べても 冷笑して取り合わない
孔子も「若者は畏るべし」と申された
年少だからといって 軽く扱わないでほしい

 孟諸沢での狩りの季節も過ぎると、高適はいったん二人と別れ、李白と杜甫は斉州(山東省済南市)に行くことになりました。
 その途中に任城(山東省清寧市)という街がありますが、李白はこの地に家のほか若干の田地を所有していました。その土地と家は、多分、玄宗からの御下賜金の一部で購入したものでしょう。
 李白は任城に「魯の一婦人」という女性を置いており、この女性は李白の三人目の妻にまりますが、正式の結婚ではなく小婦(妾)でした。李白と杜甫は任城の家に立ち寄ってから斉州に行ったと思われますが、斉州に着くと李白は道士になる修行をはじめます。
 修行して道籙どうろくを受けるわけですが、これには大枚の謝礼を必要としたようです。その金も玄宗の御下賜金で賄われたのでしょう。
 杜甫は道士になる気はありませんので、そのころ斉州の司馬として赴任してきていた李之芳りしほうのもとに身を寄せます。
 李之芳は太宗の玄孫にあたりますので宗室の一員です。
 州司馬のような微職に就く身分ではありませんが、なにかの事情で地方勤務になっていたのでしょう。李之芳のもとにいたとき、たまたま隣の青州(山東省益都県)の刺史李邕りようが訪ねてきて、杜甫はこの著名な老文学者と知り合いになります。
 道士になった李白は任城の「魯の一婦人」のもとにもどって冬から翌天宝四載(七四五)の春を過ごしていましたが、夏のはじめに杜甫が斉州から訪ねてきて、二人は連れ立って任城一帯で遊びます。
 それから青州に李邕を訪ねますが、そのとき李白が李邕に献じた詩が「上李邕」と思われます。李邕は『文選』に注をほどこした李善りぜんの子で、文と書にすぐれた大家でした。
 このとき六十二、三歳であったと思われますが、左遷されて青州(北海郡)の太守になっていたのです。
 李白はこの大家に自分を『荘子』逍遥游篇の鵬に比してみせ、若いからといって軽く扱わないでほしいと言っています。大家の李邕に反発している感じです。連れて行った杜甫は困ったと思います。

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