還山留別金門知己 山に還るとて金門の知己に留別す 李 白
好古笑流俗    古いにしえを好このんで 流俗りゅうぞくを笑い
素聞賢達風    素もと 賢達けんたつの風ふうを聞く
方希佐明主    方まさに希こいねがう 明主めいしゅを佐たす
長揖辞成功    長揖ちょうゆうして成功を辞せんことを
白日在青天    白日はくじつ 青天に在り
廻光燭微躬    廻光かいこう 微躬びきゅを燭てら
恭承鳳凰詔    恭うやうやしく鳳凰ほうおうの詔を承
歘起雲蘿中    歘たちまち雲蘿うんらの中うちより起
私は古いものを好み 世の低俗を笑い
賢者・達人の風格を学ぶ
明君を援けて勲功を立て
功成れば 深く一礼して立ち去るつもり
すると白日は天空にあり
めぐる陽は つまらぬこの躬を照らし出す
かしこんで 天子のみことのりを拝し
たちまち草莽そうもうの地を去って 都に上る

 李白は長安を去るに当たって、「金門」(翰林院)の友人たちに別れの詩を残しています。この詩は五言三十四句の長詩です。
 まず、はじめの八句で李白は自分の人生の目的を語り、天子の目にとまって都に上ってきた経緯を述べます。
 前八句の結び「歘ち雲蘿の中より起つ」には、李白の決意と飛び立つような喜びが集約して表現されているように思います。

清切紫霄廻    清切せいせつなる紫霄ししょうはるかに
優游丹禁通    優游ゆうゆうして丹禁たんきんつう
君王賜顔色    君王 顔色がんしょくを賜たま
声價凌烟虹    声價 烟虹えんこうを凌しの
乗輿擁翠蓋    乗輿 翠蓋すいがいを擁よう
扈従金城東    扈従こじゅうす金城きんじょうの東
宝馬驟絶景    宝馬 絶景ぜっけいを驟
錦衣入新豊    錦衣きんいして新豊しんぽうに入る
澄みわたる雲居くもいのかなた
宮中に出入りして悠然と歩く
天子は 謁見を賜わり
名声は 虹をも凌ぐほどである
天子の輦くるまが 翠羽の蓋かさを差し上げて
長安の東の離宮に行幸みゆきする
名馬絶景のような駿馬を馳はしらせ
錦の衣ころもを着て新豊にはいる

 第二段は李白の詩才が天子に認められ、名誉の謁見を賜わり、行幸のお供をして驪山の温泉宮に行くくだりです。
 李白にとって最も誇らしい時期であり、楽しい想い出の場面です。

倚巌望松雪    巌いわに倚って松雪しょうせつを望み
対酒鳴糸桐    酒に対して糸桐しとうを鳴らす
方学揚子雲    方まさに学ぶ 揚子雲ようしうん
献賦甘泉宮    賦を甘泉宮かんせんきゅうに献ずるを
天書美片善    天書てんしょ 片善へんぜんを美よみ
清芳播無窮    清芳せいほう 無窮むきゅうに播
帰来入咸陽    帰り来たって咸陽かんように入れば
談笑皆王公    談笑だんしょうするは皆みな王公たり
巌にもたれて松の雪を眺め
酒を酌みながら琴を奏でる
漢の揚雄が賦を献じた故事にならい
離宮に扈従こじゅうして詩を奉ると
勅書をもって お褒めの言葉をいただき
限りない栄誉に浴する
長安に帰ってくれば
交際するのは もっぱら王公貴族のみ

 李白が心から求めていたものは、詩文の才能が認められて天子に仕え、経世済民の勲功を立てることでした。
 その機会はいま目の前にあります。
 勅書をもって天子からお褒めの言葉をいただき、王公貴族と交際することが、李白にとって如何に誇らしく楽しいことであったかは、隠そうとして隠しきれなく詩句にあらわれています。

一朝去金馬    一朝いっちょう 金馬きんばを去り
飄落成飛蓬    飄落ひょうらくして飛蓬ひほうと成る
賓友日疎散    賓友ひんゆう 日に疎散そさん
玉樽亦已空    玉樽ぎょくそんも亦た已すでに空むな
長才猶可倚    長才ちょうさい 猶お倚る可く
不慙世上雄    世上せじょうの雄ゆうに慙じず
閑来東武吟    閑来かんらい 東武吟とうぶぎん
曲尽情未終    曲尽きて情じょういまだ終わらず
書此謝知己    此れを書して知己ちきに謝し
扁舟尋釣翁    扁舟へんしゅう 釣翁ちょうおうを尋ねん
だが ひとたび翰林院を去り
転落して 飛蓬の身となれば
よい客人は日に日に疎遠となり
酒樽もからになる
だが 私の才能は衰えておらず
世の豪雄にひけは取らない
暇にまかせて東武吟を口にすれば
曲が終わっても感興はつきない
そこでこの詩を書いて知己に贈り
小舟に乗って 釣りする翁を尋ねるとしよう

 ところが一転して「金馬」(翰林院)を去り、「飛蓬」(根なし草)の身となると、良客は日ごとに疎遠になり、酒樽もからになってしまいます。それでも李白は「世上の雄に慙じず」と強がってみせますが、結局、李白の官途は足かけ三年、実質的には一年半で挫折してしまうのです。

目次二へ