月下独酌 四首 其二 月下の独酌 四首 其の二 李 白
天若不愛酒    天若し酒を愛せざれば
酒星不在天    酒星しゅせい 天に在らず
地若不愛酒    地若し酒を愛せざれば
地応無酒泉    地応まさに酒泉しゅせん無かるべし
天地既愛酒    天地既に酒を愛す
愛酒不愧天    酒を愛するは天に愧じず
天がもし 酒を好きでないならば
天に酒星はないであろう
地がもし 酒を好きでないならば
地に酒泉はないであろう
天地が酒を好む以上
酒を愛しても 天に愧じることはない

 李白は自分の官途が失敗に帰そうとしているのに気づいていたに違いありません。これは李白のような官途によって身を立てようとしている者にとって、極めて重大なことです。
 李白はその苦悩を酔いでまぎらそうとしています。
 其の二の詩のはじめは、飲酒についての自己合理化です。

已聞清比聖    已すでに聞く 清を聖に比し
復道濁如賢    復た道う 濁は賢の如しと
賢聖既已飲    賢聖既すでに已すでに飲む
何必求神仙    何ぞ必ずしも神仙を求めん
三盃通大道    三盃さんばい 大道だいどうに通じ
一斗合自然    一斗いっと 自然に合がっ
但得酒中趣    但だ酒中の趣おもむきを得んのみ
勿為醒者伝    醒者せいじゃの為に伝うる勿なか
昔から清酒を聖人にたとえ
濁り酒を賢人のようだと言っている
賢人も聖人も酒を飲む以上
いまさら 神仙を求める必要はない
三杯飲めば 道家の道に通じ
一斗で 無我の境地にいたる
ただ 酒の興趣を解すればよく
飲めない奴に 言って聞かせることはないのだ

 ここで唐代の量目について注記しておきましょう。唐代の一斗は日本の三・三升にあたり、一升瓶三本と三分の一ほどです。
 詩中で「一斗 自然に合す」と言っていますが、三升強飲めば無我の境地になるというのですから、相当の酒豪であったのは事実のようです。
 李白は酒があれば神仙を求める必要はないとまで言っています。
 このときの耽溺、つまりは苦悩のほどがしのばれます。

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