宮中行楽詩八首 其一 宮中行楽詩 八首 其の一 李 白
小小生金屋     小小(しょうしょう)にして金屋(きんおく)に生まれ
盈盈在紫微     盈盈えいえいとして紫微しびに在り
山花挿宝髻     山花さんか 宝髻ほうけいに挿さしはさ
石竹繍羅衣     石竹せきちく 羅衣らいに繍しゅう
毎出深宮裏     毎つねに深宮しんきゅうの裏うちより出で
常随歩輦帰     常に歩輦ほれんに随って帰る
只愁歌舞散     只だ愁う 歌舞かぶの散じては
化作綵雲飛     化して綵雲さいうんと作って飛ぶことを
幼いころから 黄金づくりの家に育ち
年頃になって 紫微の宮殿にはいる
美しい髷には 山の花一輪
羅の衣装には 石竹の模様の刺繍
いつも宮殿の 奥深いところから出て
帰るときには かならず天子の輦に随う
悩みといえば 華やかな歌舞がつきて
綵雲となって 遥かな空に飛び去ること

 李白の宮仕えは、至極順調にはじまります。翌天宝二年743の春になると、曲江の宜春苑や城内の別宮興慶宮での宴遊など、玄宗のさまざまな遊楽に扈従して宮廷詩人としての才能を発揮します。
 なお、「宮廷詩人」という言葉を使いましたが、そういう職種があったわけではなく、宮廷の吏員が詩を書けるのは普通の教養ですので、そのなかで特に才能のある者に天子の下命があり、即興の詩を献じて遊宴に彩りをそえたのです。
 「宮中行楽詩」の連作もそのひとつで、はじめは十首あったようです。
 其の一の主人公はもちろん楊太真で、彼女の悩みといえば、夢のようないまの生活が終わることだけだと詠っています。結句の「化して綵雲さいうんと作って飛ぶことを」は戦国楚の懐王にまつわる説話で、懐王は昼寝の夢のなかで巫山の神女と契りますが、神女は別れに際して「旦あしたには朝雲となり、暮ひぐれには行雨となる。
 朝朝暮暮、陽台の下もと」と思いを述べて去りました。
 懐王が翌朝、巫山の南に行ってみると、神女の言った通りの幽遠な場所でしたので、そこに廟を建てて祀ったということです。


 宮中行楽詩八首 其二 宮中行楽詩 八首 其の二 李 白
柳色黄金嫩    柳色りゅうしょく 黄金にして嫩やわら
梨花白雪香    梨花りか 白雪はくせつにして香かんば
玉楼巣翡翠    玉楼ぎょくろうには翡翠ひすい巣くい
珠殿鎖鴛鴦    珠殿しゅでんには鴛鴦えんおうを鎖とざ
選妓随雕輦    妓を選んで雕輦ちょうれんに随わしめ
徴歌出洞房    歌を徴して洞房どうぼうを出でしむ
宮中誰第一    宮中きゅうちゅう 誰か第一なる
飛燕在昭陽    飛燕ひえん 昭陽しょうように在り
柳の葉は 黄金のように輝いて柔らか
梨の花は 雪のように白くて香りがある
高楼には 翡翠かわせみが巣をかけ
玉殿には 鴛鴦おしどりが飼ってある
舞姫を選んで 天子の輦にしたがわせ
歌手を召して 奥御殿に出入りさせる
宮中第一の美女は誰であるか
昭陽殿中 趙飛燕あり

 其の二の詩も楊太真の華やかな生活を詠っており、首聯の二句「柳色 黄金にして嫩か 梨花 白雪にして香し」は斬新な表現として、李白の名句のひとつに数えられています。
 結びの「飛燕 昭陽に在り」の飛燕は、漢の成帝の皇后趙飛燕ちょうひえんのことで、趙飛燕は漢の昭陽殿に住んでいました。
 唐の宮中にも昭陽殿があり、そこが楊太真の住まいでしたので、楊太真を宮中第一の人と褒めあげているのです。
 宮中第一の人は皇后であるべきですが、玄宗は皇后を亡くしたあと皇后を立てていませんでした。

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