駕去温泉宮後贈楊山人
               駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る 李 白

 少年落托楚漢間
   少年 落托らくたくす 楚漢そかんの間かん
 風塵蕭瑟多苦顔   風塵 蕭瑟しょうしつとして苦顔くがん多し
 自言介蠆竟誰許   自ら言う 介蠆かいまんついに誰か許さんと
 長吁莫錯還閉関   長吁(ちょうく)莫錯 (ばくさく)として還りて関を閉ず
 一朝君王垂払拭   一朝 君王 払拭ふっしょくを垂
 剖心輸丹雪胸臆   心を剖き丹を輸いたして 胸臆を雪すす
 忽蒙白日廻景光   忽ち白日の景光(けいこう)を廻らすを(こうむ)
 直上青雲生羽翼   直ただちに青雲に上って羽翼うよくを生ず
若いころは 楚地漢水のあたりに落ちぶれて
うら寂しい貧乏暮らし いつも苦しげな顔をしていた
頑固がこの世に通用しないと 自分でも思い
力なく家に帰って 門を閉じて溜め息をつく
ところが君王が 一朝にしてすべてを吹き払い
赤心を披瀝して 残らず胸の内を申し上げる
するとたちまち ひかり輝く太陽の恵みを受け
翼を生やして 青雲をかけ昇る

 詩を贈られている「楊山人」という人の経歴は不詳です。
 前後の関係から驪山の付近に住んでいた在野の詩人とみられます。
 詩の前半は自分の来歴を述べ、「楚漢の間」に「落托」(托落の倒置で、失意不遇のさま)して貧乏暮らしをしていたが、天子にみいだされて、たちまち行幸に扈従する身分になったと、こころから嬉しがっている様子が目に見えるようです。

 幸陪鸞輦出鴻都   幸に鸞輦らんれんに陪ばいして鴻都こうとを出で
 身騎飛龍天馬駒   身は騎る 飛龍ひりゅう天馬てんまの駒
 王公大人借顔色   王公大人たいじん 顔色がんしょくを借しゃく
 金章紫綬来相趨   金章きんしょう紫綬しじゅ 来りて相趨はし
 当時結交何紛紛   当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛ふんぷん
 片言道合唯有君   片言へんげんみち合するは唯だ君有り
 待吾尽節報明主   吾が節を尽くして明主(めいしゅ)に報ずるを待って
 然後相攜臥白雲   然しかる後 相攜たずさえて白雲に臥せん
このたびは 天子の輦くるまのお供をして鴻都門をいで
身は飛龍天馬の二歳馬にまたがる
王公貴顕も こころよく会ってくれ
高位高官も 小走りで面会にやってくる
このとき交わりを結んだ人は数知れないが
ただ一言で 調子の合ったのは君だけだ
私が忠節をつくし 君恩に報いたならば
君といっしょに 白雲の間に遊ぼうと思う

 後半では、これまで目もくれなかった王公貴顕もこころよく会ってくれ、高位高官も趨行すうこうして会いにくると得意そうです。
 しかし、調子が合うのは君だけで、結びの二句「吾が節を尽くして明主に報ずるを待って 然る後 相攜えて白雲に臥せん」は、例によって李白常用の隠遁姿勢の表明であり、栄耀栄華が目的で天子に仕えているのではないと志のあるところを述べています。

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