若いころは 楚地漢水のあたりに落ちぶれて
うら寂しい貧乏暮らし いつも苦しげな顔をしていた
頑固がこの世に通用しないと 自分でも思い
力なく家に帰って 門を閉じて溜め息をつく
ところが君王が 一朝にしてすべてを吹き払い
赤心を披瀝して 残らず胸の内を申し上げる
するとたちまち ひかり輝く太陽の恵みを受け
翼を生やして 青雲をかけ昇る
詩を贈られている「楊山人」という人の経歴は不詳です。
前後の関係から驪山の付近に住んでいた在野の詩人とみられます。
詩の前半は自分の来歴を述べ、「楚漢の間」に「落托」(托落の倒置で、失意不遇のさま)して貧乏暮らしをしていたが、天子にみいだされて、たちまち行幸に扈従する身分になったと、こころから嬉しがっている様子が目に見えるようです。
このたびは 天子の輦くるまのお供をして鴻都門をいで
身は飛龍天馬の二歳馬にまたがる
王公貴顕も こころよく会ってくれ
高位高官も 小走りで面会にやってくる
このとき交わりを結んだ人は数知れないが
ただ一言で 調子の合ったのは君だけだ
私が忠節をつくし 君恩に報いたならば
君といっしょに 白雲の間に遊ぼうと思う
後半では、これまで目もくれなかった王公貴顕もこころよく会ってくれ、高位高官も趨行すうこうして会いにくると得意そうです。
しかし、調子が合うのは君だけで、結びの二句「吾が節を尽くして明主に報ずるを待って 然る後 相攜えて白雲に臥せん」は、例によって李白常用の隠遁姿勢の表明であり、栄耀栄華が目的で天子に仕えているのではないと志のあるところを述べています。