五月東魯行答汶上翁 五月 東魯の行 汶上の翁に答う 李 白
五月梅始黄    五月 梅始めて黄ばみ
蚕凋桑柘空    蚕さんは凋しぼみ 桑柘そうしゃむな
魯人重織作    魯人ろじん 織作しょくさくを重んじ
機杼鳴簾櫳    機杼きじょ 簾櫳れんろうに鳴る
顧余不及仕    顧だ余つかうるに及ばず
学剣来山東    剣を学んで山東さんとうに来きた
挙鞭訪前塗    鞭を挙げて前塗ぜんとを訪
獲笑汶上翁    笑しょうを汶上ぶんじょうの翁おうに獲たり
下愚忽壮士    下愚げぐ 壮士を忽ゆるがせにす
未足論窮通    未いまだ窮通きゅうつうを論ずるに足らず
いまや五月 梅の実は黄ばみはじめ
蚕は蛹となって桑の葉もいらなくなる
魯人は機織りに熱心だから
簾の窓から 杼おさの音が聞こえてくる
ところで余は 官途に就くに至らず
剣を背負って 山東にやってきた
鞭をあげて 行く手を問えば
汶水のほとりの翁に笑われる
愚か者め 壮士を軽く扱うのか
こんな奴と 道理を論ずることはない

 襄陽の李皓からの反応も芳しいものではなく、李白は五月になると娘の平陽と息子の伯禽を南陵の鄭氏に預けて東魯に足を踏み入れます。東魯というのは旧魯国の東、いまの山東省兗州えんしゅうのあたりをいうのでしょう。詩ははじめに東魯の五月の風物を描きますが、汶水のほとりでひとりの翁に「前塗」を尋ねます。塗というのは道のことです。
 李白は馬上から鞭をあげて東のほうを指さしたに違いありません。
 すると翁は東に行ってもなにもない。出世したいなら西のほう都を目指すべきだと言って笑ったのでしょう。
 李白は憤然として「下愚 壮士を忽にす」と怒ります。

我以一箭書    我われは一箭いっせんの書を以て
能取聊城功    能く聊城りょうじょうを取るの功こうたり
終然不受賞    終然しゅうぜんとして賞を受けず
羞与時人同    時人じじんと同じきを羞
西帰去直道    西帰せいきして 直道ちょくどうを去らば
落日昏陰虹    落日 陰虹いんこうくら
此去爾勿言    此ここに去る 爾なんじ 言うこと勿なか
甘心如転蓬    甘心かんしんす 転蓬てんぽうの如きに
かの魯仲連は一本の箭文やぶみを放って
聊城をくだす手柄を立てた
だが決して 恩賞を受け取ろうとせず
世間並みの男とみられるのを恥とした
西へ向かって 天子の大道をゆけば
行く手には落日があり 陰気な虹が架かっている
私はここから先へ行く 余計な口出しをするな
転蓬のように転げ去るのは 覚悟している

 詩中の「一箭の書を以て 能く聊城を取るの功たり」は『史記』魯仲連鄒陽列伝にある説話で、戦国時代の末期に燕が斉を攻めたとき、聊城(山東省聊城県)を占領していた燕の将軍を魯仲連が一本の箭文を送って兵を用いずに開城させた話です。
 おれは世間並みの男とは違うのだと遊歴の覚悟のほどを述べ、西のかた都への道は採らないと言います。
 「直道」というのは秦の始皇帝が作らせたという天下の大道のことで、もちろん真っ直ぐな道ですが「天子の大道」と訳しました。
 李白はたとえ転蓬てんぽうのようにあてどもなく転げてゆくようなことがあろうとも、わが道を行くのだと言って先へ進むのです。

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