送友人       友人を送る 李 白
青山横北郭    青山せいざん 北郭ほくかくに横たわり
白水遶東城    白水はくすい 東城とうじょうを遶めぐ
此地一為別    此の地 一たび別れを為さば
孤蓬征万里    孤蓬こほう 万里に征かん
浮雲遊子意    浮雲ふうん 遊子の意
落日故人情    落日 故人こじんの情じょう
揮手自茲去    手を揮ふるって茲ここより去れば
蕭蕭班馬鳴    蕭蕭しょうしょうとして班馬はんばは鳴く
緑の山は 城壁の北につらなり
清流は 城東をめぐって流れる
この地で一度 別れを告げれば
飛蓬のように 万里の彼方へさすらうのだ
浮き雲は 行方さだめぬ旅心
落日は 友情のように赤く燃え
手を振って遠ざかれば
馬も物悲しく嘶いた

 李白は洛陽に滞在したあと、襄陽に立ち寄って孟浩然に会い、それから妻子の待つ桃花巌についたと思われます。長男伯禽の顔を見て、明月のようだと思ったのか、あるいは明月の夜に生まれたとでも聞いたのか、幼いころは明月奴めいげつどと呼んで可愛がったようです。
 実は李白の二人の子供の生年については、はっきりわかりません。
 私の想定によると開元二十五年(七三七)は娘の平陽が五歳、息子の伯禽は二月にはじめての誕生日を迎えると考えています。
 二人とも可愛い盛りです。李白はこの年は幼い娘と息子を見守って桃花巌で過ごしたと思います。しかし、開元二十六年(七三八)の春には、またも大旅行に出かけます。
 南陽をへて嵩山の元丹丘を訪ね、それから陳州(河南省淮陽県)をへて楚州(江蘇省淮安県)に至ったと推定されます。
 これは中国の地図をご覧になるとわかりますが、大変な距離です。
 この年は安陸の桃花巌にもどることができず、楚州で年を越したようです。翌開元二十七年(七三九)の春から初夏にかけては安宜(江蘇省宝応県)に滞在していたようです。
 安宜は洪沢湖の東にあり、運河に沿った街です。
 こうした旅の途中で、李白は多くの詩人や知識人と会い、また別れていったと思われますが、掲げた詩は旅の途中で親しくなった友人と別れるときに作ったものでしょう。
 制作の場所も時期も送られた人も特定できない作品です。


 客中作        客中に作る   李 白
 蘭陵美酒鬱金香   蘭陵らんりょうの美酒 鬱金香うつこんこう
 玉椀盛来琥珀光   玉椀ぎょくわんり来る琥珀こはくの光
 但使主人能酔客   但だ主人をして能く客を酔わしめば
 不知何処是他郷   知らず 何いずれの処か是れ他郷
蘭陵の美酒 鬱金香よ
玉杯に満たせば 琥珀色の光を発す
主人よ たっぷり客を酔わせてくれ
酒さえあれば いずこも他郷の気がしない

 李白は東魯にきてから任城(山東省済寧市)に居をかまえていますので、場合によっては移住する気持ちもあったようです。
 夏から秋にかけて兗州(山東省兗州市)の各地をめぐり、有力者に接触して引き立てを依頼しますが、事はうまくはこびません。
 それでも冬のころには、幾人かの知識人と親しくつき合うようになりました。翌開元二十九年(七四一)も、李白は東魯にとどまり、東魯の地から東南にあたる臨沂りんき地方まで足を延ばしたようです。
 詩の「蘭陵」は漢から隋代にかけての県名で、唐初には丞県(山東省棗荘市の東)と改称されています。だから李白は古い地名を用いていかにも美味しそうな地酒の感じを出したのです。この詩は作られた場所はわかっていますが、時期はこのときかどうか分かりません。
 しかし、臨沂は辺鄙な地方ですので、美酒を尋ねてわざわざ行ったものと思われます。李白はこの年、兗州の北にある徂徠山の麓で六人の仲間と酒と音楽に明け暮れる気ままな生活を送り、「竹渓の六逸」と呼ばれたりしました。李白は四十一歳になっており、隠逸の生活にあこがれる気分も生じていました。

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