元丹丘 愛神仙 元丹丘げんたんきゅう 神仙しんせんを愛す
元丹丘歌 元丹丘の歌 李 白
元丹丘よ 君は神仙を愛する
朝には 頴水の清らかな流れを飲み
日暮れには 嵩山の霞のなかに消えてゆく
三十六峰を ゆっくりと巡るのだ
めぐり巡って 星や虹を踏む
飛龍に乗って 耳は風を巻くほどに疾走し
黄河を横切り 海を跨いで天に通ずる
汝の果てしない自由を 私は知っているのだ
李白は秋まで宋州に滞在したようですが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹丘の山居に滞在します。
元丹丘は安陸以来の友人で道士ですが、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようです。李白は元丹丘の道士としての生活をうらやましがって描いています。
最後の句に「爾の遊心」という三語がありますが、「君の遊び心」と直訳したのでは詩の意義が成り立たないと思います。現代語に訳すとすれば「自由な心」「とらわれない精神」と訳すのがよいと思います。
元丹丘と李白は終生の友として、今後も親密な関係がつづきます。
旅で過ごす李白において、元丹丘との交際ほど永くつづく関係は珍しい例なのです。
春夜洛城聞笛 春夜洛城に笛を聞く 李 白誰家玉笛暗飛声 誰たが家の玉笛ぞ 暗あんに声を飛ばす
誰が吹くのかあの笛は 闇をぬって流れてゆく
春風と交じり合い 洛陽の街に満ちわたる
今夜聞こえたその曲は 別れを惜しむ折楊柳
その哀しげな笛の音に 誰か故郷を懐わざる
冬が近くなると、李白は元丹丘の山居を出て洛陽に行き、翌年の夏の終わりまで洛陽に滞在します。
詩は春の夜の洛陽を詠っていますので、李白がはじめて洛陽の春を経験した開元二十年(七三二)春の作品でしょう。
李白は三十二歳になっていました。
李白が洛陽に滞在している目的は長安滞在と同じでしょう。
洛陽は東都と呼ばれ、則天武后の時代は正式の都でした。
洛陽の気候は温和、食糧は豊富とあって皇族や高官はここに別邸をかまえ、各地の知識人も集まってくる文化の中心地でした。
李白は洛陽で太原太守の息子の元演や崔成甫らと知り合いますが、肝腎の官途への手掛かりに思わしい成果はありませんでした。
なお、そのころ杜甫は二十一歳で、江南に旅行中でした。