春帰終南山松龍旧隠 
            春 終南山の松龍旧隠に帰る 李 白
我来南山陽    我 南山の陽ように来きた
事事不異昔    事事じじ 昔に異ことならず
却尋渓中水    却かえって渓中けいちゅうの水を尋ね
還望巌下石    還た巌下がんかの石を望む
薔薇縁東窓    薔薇しょうび 東窓とうそうに縁
女羅繞北壁    女羅じょら 北壁ほくへきに繞めぐ
別来能幾日    別来べつらいく幾日ぞ
草木長数尺    草木そうもく 長ずること数尺
且復命酒樽    且しばらく復た酒樽しゅそんを命じ
独酌陶永夕    独酌どくしゃく 永夕えいせきを陶とうせん
南山の南にきてみると
何事も昔と変わらない
顧みて 谷川の流れを求め
巌下の石を眺めたが 同じである
野茨は 東の窓に這いあがり
女羅は 北の壁に巻きついている
一別以来 幾日もたっていないのに
草木は数尺も伸びている
さて まずは酒樽でも持ってこさせ
ひとり酒 永い夕べを過ごすといたそう

 李白は就職運動のために坊州のような北辺の街まで行きましたが、ここでも成果は得られず、留別の詩を残して長安にもどってきます。
 玉真公主別館の旧居に帰って来たのは開元十九年(七三一)の春のころでした。晩秋から春にかけての北辺の旅でしたが、事情はなにも変わらず、館には野茨のいばらや女羅ひかげかずらが生い茂っています。
 李白はひとり酒でも飲んで、人生のうさを晴らすのです。


 烏夜啼        烏夜啼うやてい     李 白
 黄雲城辺烏欲棲   黄雲こううん 城辺 烏からす棲まんと欲し
 帰飛唖亜枝上啼   帰り飛び 唖唖ああとして枝上しじょうに啼く
 機中織錦秦川女   機中きちゅう 錦を織る 秦川しんせんの女
 碧紗如煙隔窓語   碧紗へきさ 煙の如く 窓を隔へだてて語る
 停梭悵然憶遠人   梭を停め 悵然ちょうぜんとして遠人を憶う
 独宿弧房涙如雨   独り弧房こぼうに宿しゅくして 涙 雨の如し
城壁に夕靄がなびくころ 烏はぬぐらにつこうと
飛んで帰り かあかあと枝で鳴く
はたを前に 錦を織る長安の女
青絹のとばりは霞のよう 窓越しに私と語る
機織の杼をとどめ 遠くの人を思いやり
ひとり部屋に臥して 涙は頬を流れますと

 李白は北辺の旅からむなしく長安にもどってきましたが、そのあともしばらく都にとどまっていました。仕官に見込みがあるわけではなく、一時は長安の市井無頼の徒と交わったりもしました。
 そんなある日、市井の名もない女性と言葉を交わし、詩を作ります。「烏夜啼」も題そのものは楽府にあるものですが、内容は夫を兵役に出している妻の夫を想う思婦詩になっています。
 「窓を隔てて語る」となっていますので、李白は実際に窓越しに婦人の訴えを聞いたのでしょう。

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