蘇台覧古        蘇台覧古そだいらんこ   李 白
 旧苑荒台楊柳新   旧苑きゅうえん 荒台こうだい 楊柳新たなり
 菱歌清唱不勝春   菱歌りょうかの清唱せいしょう 春に勝えず
 只今惟有西江月   只 今は惟だ西江せいこうの月有り
 曾照呉王宮裏人   曾かつて照らす 呉王宮裏ごおうきゅうりの人
古い苑にわ 荒れた楼台 芽吹く柳は新しく
菱摘む娘らの歌声が 春の愁いをかき立てる
いまはただ 西の川面に照る月も
かつて呉王の宮殿の 美女を照らした月なのだ

 金陵の渡津から潤州(江蘇省鎮江市)の渡津まで七〇キロメートルほどしかありません。ここから大運河が南の呉越の地へ通じています。
 李白がまず足を止めたのは平江(江蘇省蘇州市)でしょう。ここは春秋呉の都城があった地で、みるべき遺跡はたくさんあります。
 李白は後年、金陵や呉越の地を幾度も訪れていますので、金陵や呉越の詩のほとんどは制作年が特定できません。
 しかし、若くて古代の浪漫、懐古に限りない愛着を抱いていた李白が、春秋呉越の戦争に心を動かされないはずはありません。
 「蘇台」は姑蘇台こそだいの略称で、春秋時代に呉の宮殿があったところです。呉王夫差ふさは越王勾践こうせんが献じた美女西施せいしにおぼれて政事をかえりみず、滅亡への道を歩みました。


越中覧古        越中覧古えつちゅうらんこ  李 白
 越王勾践破呉帰   越王勾践こうせん 呉を破って帰る
 義士還家尽錦衣   義士 家に還りて尽ことごとく錦衣きんい
 宮女如花満春殿   宮女は花の如く春殿しゅんでんに満ち
 只今惟有鷓鴣飛   只 今は惟だ鷓鴣しゃこの飛ぶ有り
越王勾践は 呉を破って凱旋し
忠義の士は 家に帰って恩賞に浴した
春麗らか宮殿に 宮女は花と溢れていたが
いまはただ あたりに鷓鴣の飛び交うばかり

 呉地をめぐった李白は、さらに運河を南下して銭塘(浙江省杭州市)から銭塘江を渡り、越州(浙江省紹興市)にはいります。
 ここでも越王勾践の旧蹟を訪ねますが、かつて華やかな宮殿のあったあたりに飛んでいるのは「鷓鴣」ばかりと嘆きます。鷓鴣は「うずら」に似たキジ科の鳥で、江南ではありふれた鳥であったようです。


  採蓮曲         採蓮曲さいれんきょく   李 白
 若耶渓傍採蓮女   若耶じゃくやの渓傍けいぼう 採蓮の女じょ
 笑隔荷花共人語   笑って荷花かかを隔てて人と共に語る
 日照新粧水底明   日は新粧(しんしょう)を照らして水底(すいてい)明らかに
 風飄香袖空中挙   風は香袖(こうしゅう)(ひるがえ)して空中に挙がる
 岸上誰家遊冶郎   岸上がんじょうが家の遊冶郎ゆうやろう
 三三五五映垂楊   三三五五 垂楊すいように映ず
 紫騮嘶入落花去   紫騮しりゅうは嘶いななき 落花に入りて去る
 見此踟蹰空断腸   此これを見て踟蹰ちちゅうして空しく断腸す
若耶渓のあたりで 蓮の花摘む女たち
笑いさざめき 花を隔てて語り合う
陽に照らされ 顔は明るく水面に映り
風に吹かれて 袖は軽やかに舞い上がる
どこの邸の若者だろうか
堤の上で三々五々 しだれ柳に見え隠れする
栗毛の駒の嘶きが 柳絮のなかに消え去ると
何だか訳もわからずに 乙女心は切なく揺れる

 「採蓮曲」は本来、蓮の根を採る秋の労働歌だったそうですが、李白はそれを柳絮りゅうじょの舞う晩春の艶情の歌に変化させています。
 「若耶渓」はいま平水江といい、紹興の街の近くを流れています。
 昔、越の美女西施せいしが紗を洗い、蓮の花を採ったという伝承のある有名な川です。
 馬をいななかせて垂楊しだれやなぎの葉陰に消えていった若者たちのうしろ姿を目で追いながら、急におしゃべりを止めて「踟蹰」ためらいがちに顔を赤らめている乙女たちの姿を、李白はういういしく描いています。
 とても若々しい繊細な作品であり、名作といっていいでしょう。
 もっと後年の作とする説もありますが、若々しさに注目してここに置きました。

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