高く晴れた秋の空 蜀桐の箜篌に呉の糸を張る
山にまつわる雲は 崩れながらも流れない
湘江の神女は 竹に涙をそそぎ 素女は羨む
李慿の箜篌は 中国に二人といない腕前だ
崑崙山の玉は砕け 鳳凰は叫び
蓮の花は涙を流し 香蘭は笑う
都城の十二門では 凍えた光が溶け
二十三絃の調べは 紫皇の神を感動させる
この詩は李賀の詩集『李長吉歌詩』巻之一の冒頭に置かれていますので、李賀の詩のなかでは高く評価されていた作品であると思われます。
詩題にある「李慿」は箜篌の演奏の名手で、同時代の他の詩人の詩にも詠われているそうです。
「箜篌」は竪琴の一種で、ハープに似た弦楽器であると言われています。
この詩は冒頭の一句を除いて、全句が李慿の箜篌の演奏のすばらしさを比喩を用いて詠うものです。
まず起句に「呉糸 蜀桐 高秋に張る」とありますので、秋の詩であり、李慿の箜篌は蜀の桐で作られ、呉の絹糸が張られていたことがわかります。
「張る」と言えば演奏することを意味します。
はじめの四句のうち中の二句は、箜篌の音色のすばらしさを簡潔に描き、四句目で李慿は中国に二人といない箜篌の名手であると述べます。
詩中の「江娥」は帝舜の妃で、舜の死後、そのあとを追って湘水に身を投げた娥皇・女英の姉妹のことです。
「素女」は伝説の女性で、黄帝が五十弦の瑟を演奏させたところ、その音色があまりにも悲しかったので二十五弦に変えさせたといいます。
つづく十句うち四句が今回は、李慿の箜篌の音色をさまざまな比喩を用いて褒め称えるものです。中国の神話伝説に通じていない現代人には面白味が理解できないかもしれません。
まず崑崙山の玉の砕ける音や鳳凰の叫び声などに喩えられます。
「十二門」は都城の門のことで、長安にも洛陽にも十二の門がありました。
「二十三糸」は箜篌の弦の数で、「紫皇」は道教の三神のひとりです。
女媧が石を練って 天のほころびを直した箇所で
石は破れ天は驚き 秋の雨も落ちては来ない
夢に神山に入って 老いた神女に聴かせると
波間では魚が跳ね 痩せた蛟龍も舞い踊る
呉剛は眠らずに 桂樹にもたれて耳をかたむけ
露は斜めに飛んで 月の面を濡らすであろう
前半につづいて、箜篌の音色についての比喩がつづきます。
「女媧」は古代の伝説の神で、天を支える柱が折れたとき、女媧は五色の石を練って蒼天のほころびを修理しました。
箜篌の音色でその石が破れ、天は驚いて「秋雨を逗む」とあります。
この句の解釈については諸説がありますが、秋雨を降らすのを「逗」とどめたと素直に解釈しました。「神嫗」は晋の懐帝のころに実在した成夫人という箜篌の名手のことで、成夫人が箜篌を弾くと、人々は起って踊り出したといいます。「呉質」は呉剛の間違いとされ、呉剛は月の桂の木を伐ったという伝説をもつ神話上の人物です。
その呉剛も桂の木を伐るのをやめて李慿の箜篌に聞き惚れ、月の露が斜めに飛んで「寒兎」月というのに等しいを濡らしたと詠います。李賀の幻想は、とどまるところを知らないようです。